天日矛13.応神天皇
13-9.天日矛


応神天皇の時代、新羅国(しらぎのくに)から国王の子である天日矛(あめのひぼこ)が日本に渡ってきました。逃げられた妻を追ってです。その妻の出生が謎を秘めています。

ある時、賤しい女性が沼の近くで昼寝をしていると、日の光が虹のようにその女の陰部、つまり女陰に突き刺しました。

久々、女陰、キタコレ!

別のある賤しい男がその様子を怪しんで、その賤しい女性を見守ることにしました。

女陰に光の矢が突き刺さってから、その女は妊娠でもしたようにどんどんお腹が膨れ、結局、赤い玉を生みました。

その赤い玉が宝物だと考えた賤しい男は、女から赤い玉を奪い取り、包んで腰に着けて大事にしました。山谷の間で田んぼを作っていたので、牛に食糧を積んで、その田んぼで耕作する人たちに食べ物を届けようとした時、天日矛に会います。

天日矛「なぜ牛に食糧を積んで、山谷に分け入ろうとしているのか? その牛を殺して食っちまうつもりだろう?」
賤しい男「滅相もございませんだ~」
天日矛「黙れ! タイホ、決定~」
賤しい男「……(腰の包みから取り出して)この赤い玉あげるから見逃してけろ~」
天日矛「……(赤い玉を受け取って)今日のところは勘弁してやる」

天日矛がその赤い玉を家に持ち帰ると、何と美しい女子に変身! 天日矛は喜んでヤリまくり、まあ、妻にしました。その妻はかいがいしく働きます。ただし、国王の子で、根がわがままな天日矛は、Sっけからか、事あるたびに妻を罵り、いびります。キレた妻が曰く。

「もう、いやっ! 実家に帰らしていただきます」

と言って、日本に逃げてきた、というお話。実家が日本というのはどこにも出てこなかったのですが、その母親の女陰に突き刺さったという“日の光”が、それを象徴しているのでしょう。

この妻こそ、阿加流比売(あかるひめ)であり、難波の比売碁曾社(ひめごそのやしろ)に祀られていると言います。

妻を追って海を渡って来た天日矛も難波に入ろうとしますが、海上で神々に邪魔されてはいれませんでした。しょうがなく但馬国(現 兵庫県)に入り、土着します。そこで新たに妻を娶り、子孫を反映させます。その子孫の中から、神功皇后の母上が出ています。

んんっ? 天日矛の渡来は、応神天皇の頃の話だったはず。なぜその子孫が、応神天皇の母(神功皇后)の母、つまり祖母を出している? というのはよく指摘されている時期的矛盾のようです。

さて、天日矛が新羅から持ち込んだ宝が、珠が二つ、浪振比礼(ひれ)、浪切比礼、風振比礼、風切比礼、奥津鏡、辺津鏡の八種。現在でも出石神社(兵庫県豊岡市出石町)に祀られています。

いずれも海上の波風を鎮める呪具です。土着したとはいえ、但馬に入ったのは天日矛にとっては不本意で、やはり前妻の阿加流比売の難波に入りたかった、でも海で神々に邪魔されたこと、それがとてもとても悔しかった、ということをこの神宝は示しているのかもしれません。

※画像は、「天日矛」Google画像検索結果のキャプチャー。

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【古事記の神・人辞典】
天日矛
アカルヒメ

タジマノマタオ
マエツミ
タヂマモロスク
タジマヒネ
タジマヒラナキ
タジマモリ | タジマヒタカ | キヨヒコ

タギマノヒメ
ガノモノオ
スガカマユラドミ
タカヌカヒメ
神功皇后

イズシオトメ

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