
13-7.大山守命の反逆
応神天皇が亡くなったので、その皇子で政治を任されていた、大雀命(おおさざきのみこと)はそのご意志に従って、皇太子に指定されていた弟の宇遅能和紀郎子(うじのわきのいらつこ=和紀郎子)に政を返しました。
ところが、やはり応神天皇の皇子で、二人の兄にあたる大山守命(おおやまもりのみこと)は、兄弟問答で応神天皇に疎んじられ遠ざけられていたこともあって、秘かに兵を募って、和紀郎子をディスることにしました。
大雀命は、大山守命の反逆の動きを悟り、和紀郎子に知らせました。和紀郎子は驚き、急いで兵を整え、その兵を宇治川のほとりに隠し、山の上に絹を垣根のように張り巡らし、天幕を作って、影武者を立て、そこにホンモノの皇子がいるよう見せかけました。
そうして、兄の大山守命が川を渡る時のことを考え、船と梶を準備し、ぬめぬめした汁を用意してその船の中の渡り板に塗って、兄がそこを踏めばひっくり返るような細工をしました。
さらに和紀郎子は、布の上着と袴を着て、賤しい船頭の姿に変装して、舵を持って船の上に立っていました。
そこに、兄の大山守命が、やはり兵を隠してやってきました。着物の下に鎧を着こんで。山の上を見てみると、大変きらびやかだったので、そこに弟の和紀郎子がいるだろう、とも思いこんでしまいました。
そして大山守命は船頭に曰く。「この山の上には怒り狂った大きな猪がいると聞いている。オレはその猪を殺したいと思うのだが、うまくいくと思う?」
船頭「無理で~す」
大山守命「なんで?」
船頭「以前より、何度も何度もその猪、殺そうとしたじゃないっすか。でも、できなかった。だからムリって言ってみた」
大山守命「……」
ともあれ、大山守命は船頭に船を出させました。川の中央に差し掛かった時、その船頭は船を傾けて、大山守命を川に落としました。
大山守命は川面に浮き上がりはしたものの、川の流れのままに流れ下ってしまいました。流れながら大山守命が詠んだ歌。
生きるか死ぬかで、何と呑気な。。
しかし船頭=和紀郎子は、隠していた兵士たちに矢を射かけることを命じたため、川の水に流されていた大山守命にたくさんの矢が突き刺さり、ついに水の底に沈んでしまいました。
鉤で、沈んだところを探ると、着物の中に着込んだ鎧に当たって、カランカランと鳴ったので、その地を訶和羅之前(かわらのさき)と言うようになりました。現在の京都府京田辺市河原里ノ内で、今でも伽和羅古戦場跡として残っています。
さて、大山守命の死体に鉤をかけて引き揚げた時に、和紀郎子が詠んだ歌は。
宇治川の渡し場に立っている、
弓を作るマユミの木よ。
それを切りたいと、心に思うけど、
それを取りたいと、心に思うけど、
本の方は君のことが思い出され、
末の方は妻のことが思い出され~、
慰めようもなく、君のことを思い出し、
悲しくも、妻のことを思い出し、
それを切らずに戻って来たよ~
弓を作るマユミの木よ。
それを切りたいと、心に思うけど、
それを取りたいと、心に思うけど、
本の方は君のことが思い出され、
末の方は妻のことが思い出され~、
慰めようもなく、君のことを思い出し、
悲しくも、妻のことを思い出し、
それを切らずに戻って来たよ~
そうして、大山守命の死体を奈良山に葬りました。
※画像は、「和紀郎子」Google画像検索結果のキャプチャー。
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・応神天皇 - 自身の登場シーンがあまり多くない天皇
・和紀郎子 - 応神皇太子は、貴公子然として朗らかな皇子
・大山守命 - 徹底的に貶められる仁徳の兄 裏ありソス
【古事記の神・人辞典】
・応神天皇
・仁徳天皇(大雀命)
・大山守命
・和紀郎子
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