須須許里13.応神天皇
13-6.百済の朝貢


応神天皇の時代、多くのヒト・モノ・カネが朝鮮半島より渡ってきています。古事記によれば、新羅国(しらぎのくに)の人で、堤を作るのに大変優れた技術者集団が渡来してきたので、建内宿禰大臣(たけうちのすくねのおおおみ=建内宿禰)が彼らを率いて、百済の池を造ったと記載されています。

新羅の人たちだったはずなのになぜ百済の池になったのかはフシギです。

百済国(くだらのくに)の王・照古王(しょうこおう)が牡馬と雌馬の一対を、阿知吉師(あちきし)に引かせて、献上してきました。阿知吉師はその後日本に定住します。また、この時、太刀と大鏡も献上されたと言います。

応神天皇縦480px応神天皇は百済に対して、「賢いヤツがいたら、差し出せや」と人材の供出を求め(命じ?)ています。それで百済の王が派遣したのが和邇吉師(わにきし)です。この時、和邇吉師が論語と千字文を持参しました。和邇吉師もその後日本に定住します。

技術者として、最先端の鍛冶屋さん、名前は卓素(たくそ)を、呉服の織物屋さん、名前は西素(さいそ)の二人を派遣しました。

酒造の名人、須須許里(すすこり)が日本に渡って来たのもこの時。須須許里が応神天皇にお酒を献上し、そのお酒があまりにもおいしかったので、いい気持ちで酔っぱらった応神天皇が歌った歌は。

須須許里が造った酒に、
オレは酔ったぞ~
憂いごともない酒、顔もほころぶ酒に、
オレは酔ったぞ~

イイ気持ちになってしまった応神天皇。そのままふらふらと外出してしまいます。酔った勢いで、路肩にあった大きな石を持っていた杖で思いっきり叩こうとすると、何とその石はそそくさと逃げ出してしまいました。

堅い石でも酔った人を避ける

という諺が生まれました。昔から、酔っ払いの扱いが大変だ、ということが周知されていたことの表れでしょう。人間、やっていることは今も昔も大差ない。

※画像は、「須須許里」Google画像検索結果のキャプチャー。

【関連キャラ】
応神天皇 - 自身の登場シーンがあまり多くない天皇
建内宿禰 - 応神の本当の父? 波乱呼ぶ伝説的人物

【古事記の神・人辞典】
応神天皇
建内宿禰

照古王
阿知吉師
和邇吉師
卓素
西素
須須許里

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