応神天皇13.応神天皇
13-2.気比大神と酒楽の歌


息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)の側近、建内宿禰大臣(たけうちのすくねのおおおみ=建内宿禰)は、忍熊王の反乱平定後、神功皇后の御子とともに禊しようと、近江国(現 滋賀県)から若狭国(現 福井県)へ、もう越国(現 新潟県)の入口に当たる角鹿(つぬが)に仮の宮殿を立てました。

当地の神・伊奢沙和気大神命(いざさわけのおおかみのみこと)が建内宿禰の夢枕に立ちました。

和気大神「私の名と御子の名とを換えようと思う」
建内宿禰「畏れ多いことですが、おっしゃる通り、換えさせていただきます」
和気大神「明日の朝早く、御子を浜辺によこしなさい。名を変えるお礼の印のものを差し上げよう」

そして、次の朝早く、御子が浜辺にいるとき、鼻をひしゃがれたイルカが浦いっぱいに寄りついてきました。御子は「大神が私に多くの食料を与えてくださった。ありがとうございます」と、建内宿禰を介して、大神にお礼を言いました。

そのため、この大神は御食津大神(みけつおおかみ)とも呼ばれました。現在では気比大神(けひおおかみ)と呼ばれます。

また、イルカの鼻の血が大変臭かったので、その浦を血浦(ちうら)といい、それが角鹿になりました。現在の敦賀市です。

その後、御子の軍が都に帰った時、その母の神功皇后が帰ってくる人の無事を祈る酒を作って、御子に献じました。その時、神功皇后が詠んだ歌は。

このお酒は私が作ったものではない。
酒の神の、常世の国にいる少名毘古那神(スクナビコナ)が、
何度も何度も神に祈って、喜び狂い、踊りまわって、
常世の国から持ってまいったお酒ですよ。
さあ、盃の底に残さず、どんどんお飲みなさい。さあさあ。

この時、建内宿禰が御子に代わって歌われた。

このお酒を作ったお方は、その鼓を臼のように立てて、
歌いながら作ったからだろうか、踊りながら作ったからだろうか、
このお酒を飲むと、大変楽しいですよ~、さあさあ。

これらの歌は酒の席で歌われる歌である。

この御子が、応神天皇です。

※画像は、「応神天皇」Google画像検索結果のキャプチャー。

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【古事記の神・人辞典】
建内宿禰
イザサワケ

神功皇后
応神天皇

スクナビコナ

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