12.神功皇后
12-3.神功皇后の出産
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)の新羅国(しらぎのくに)征伐が終わらないうちに、神功皇后の身ごもっていた子どもが生まれようとしていました。
そこで神功皇后は、石を拾って、腰に巻いて、そのお腹を鎮め、出産を遅らせました。
新羅から筑紫国(現 福岡県)に戻って、ようやくその御子はお生まれになりました。
その御子(後の応神天皇)が生まれた場所を宇美(うみ)と呼び、今の福岡市宇美町に当たります。
出産を遅らせるために腰に巻かれた石は今でも伊斗という所にあります。福岡県糸島郡二丈町深江がそうだとされています。
そして、神功皇后は松浦県(まつうらのあがた)の玉嶋里(たましまのさと)につき、その川のほとりで食事を摂ることになりました。ちょうど四月上旬でしたので、その川の磯に入って、スカートの糸を抜いて、ご飯の粒を餌にして、その川のアユを釣りました。
そのため、今でも四月上旬には、女たちがスカートの糸を抜いて、ご飯粒を餌としてアユを釣ることが続いていると古事記では紹介しています。今の佐賀県東松浦郡の、旧玉島村や玉島川のことのようです。
※画像は、「神功皇后」Google画像検索結果のキャプチャー。
【関連キャラ】
・神功皇后 - 三韓征伐の英雄は息子を溺愛する魔性の女?
【古事記の神・人辞典】
・神功皇后
・応神天皇
12-3.神功皇后の出産
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)の新羅国(しらぎのくに)征伐が終わらないうちに、神功皇后の身ごもっていた子どもが生まれようとしていました。
そこで神功皇后は、石を拾って、腰に巻いて、そのお腹を鎮め、出産を遅らせました。
新羅から筑紫国(現 福岡県)に戻って、ようやくその御子はお生まれになりました。
その御子(後の応神天皇)が生まれた場所を宇美(うみ)と呼び、今の福岡市宇美町に当たります。
出産を遅らせるために腰に巻かれた石は今でも伊斗という所にあります。福岡県糸島郡二丈町深江がそうだとされています。
そして、神功皇后は松浦県(まつうらのあがた)の玉嶋里(たましまのさと)につき、その川のほとりで食事を摂ることになりました。ちょうど四月上旬でしたので、その川の磯に入って、スカートの糸を抜いて、ご飯の粒を餌にして、その川のアユを釣りました。
そのため、今でも四月上旬には、女たちがスカートの糸を抜いて、ご飯粒を餌としてアユを釣ることが続いていると古事記では紹介しています。今の佐賀県東松浦郡の、旧玉島村や玉島川のことのようです。
※画像は、「神功皇后」Google画像検索結果のキャプチャー。
【関連キャラ】
・神功皇后 - 三韓征伐の英雄は息子を溺愛する魔性の女?
【古事記の神・人辞典】
・神功皇后
・応神天皇
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