弟橘比売命11.ヤマトタケル
11-5.「ああ、わが妻よ」


倭建命(やまとたけるのみこと=ヤマトタケル)は反逆した相模国造を退けた後、さらに東に行ってから海を渡ろうとしました。しかし、その海の神が暴れて、波を起こしたために、船が何度も戻され、先に進めません。

弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと=オトタチバナ)縦480pxそこで、東征についてこさせていた妻の一人、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと=オトタチバナヒメ)が曰く。「私が海に入って、海を沈めましょう。あなた様は東征をお続けくださいまし」。そういうと、彼女は菅で作ったござを八枚、皮で作ったござを八枚、絹で作ったござを八枚、波の上に敷いて、その上に座りました。

波は静かになり、ヤマトタケルは無事に海を渡ることができました。

オトタチバナヒメが海に入る前に詠んだ歌は下記の通り。

あの相模國の人里離れた野原で、
火に囲まれ、ぼうぼうと燃える炎の中で、
私の名を呼んでくださったあなたですもの
(あなたのためなら火の中、海の中~)

倭建命(やまとたけるのみこと=ヤマトタケル)縦480pxそれから七日後、オトタチバナヒメがつけていた櫛が海辺に流れ着きました。その櫛を拾って、お墓を作って、その中に櫛を納めました。

ヤマトタケルはさらに東に進んで、荒ぶる人々を平定し続けました。

それで引き返して、足柄の坂の麓に着いて、握り飯を食べていると、その坂の神が白い鹿となってやって来て、ヤマトタケルの前に立ちはだかりました。ヤマトタケルはその白い鹿が近づくのを待って、素早く食べ残したネギのかけらを投げつけると、鹿の目に当たって、鹿は死んでしまいました。

その後、ヤマトタケルはその坂の上に登って、来た方を振り返って、オトタチバナヒメを偲び、大いに嘆いて「ああ、わが妻よ」と言ったために、その地方が吾妻(あづま)となりました。

さらにヤマトタケルは甲斐国(現 山梨県)に行きます。そして次のように歌いました。

常陸国の筑波を過ぎて、幾夜寝ただろうか~

すると、その歌に、かがり火をたいていた老人が後を続けて歌いました。

日数を重ねて、
夜は九夜、昼は十日の日をお重ねになりました~

そこで、ヤマトタケルはこの老人を褒め、東国の国造に任命しました。

※画像は、「弟橘比売命」Google画像検索結果のキャプチャー。

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酒折宮 - 記紀に記された甲斐国酒折宮、文人・皇族が参拝した連歌発祥の地
室根神社 - 奈良時代に熊野から勧請、それ以来の特別大祭「マツリバ行事」が有名な古社
走水神社(横須賀市) - 三浦半島の東端、日本武尊が海を渡った地に奉斎、弟橘媛を合祀

吾妻神社(二宮町) - 日本武尊のために海中に身を投げた妻の弟橘樹媛の櫛が届いた地
吾妻神社(木更津市) - 弟橘姫の御袖が到着、翌日には遺骸も漂着、ゆかりの「鏡ヶ池」
橘樹神社(川崎市) - 弟橘媛の陵「富士見台古墳」、周辺に縄文遺跡や歴史ある寺院
橘樹神社(茂原市) - 弟橘比売命御陵が残る、日本武尊のお手植え橘が御神木の古社
亀戸浅間神社 - 弟橘媛の笄が漂着した地に奉斎、戦国期に富士信仰、笄塚と富士塚

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【古事記の神・人辞典】
ヤマトタケル
オトタチバナ

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