ナガスネビコ8.神武天皇
8-4.久米歌


宇陀でのピンチを脱した神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ=神武天皇)がさらに先に進むと、忍坂(おしさか)に到着した。この地の大きな洞窟には凶暴な土蜘蛛(つちぐも=天皇一行の敵)がうじゃうじゃ。

神武天皇縦480pxまともにぶつかっても味方の被害が大きい、と思ったのか、神武天皇は彼らをまずは歓待することにしました。ご馳走を振舞ったのです。

一方で、土蜘蛛の乱暴者一人一人に、味方の接待役一人一人を付け、その接待役には剣を隠し持たせます。接待役に命じて曰く。

神武天皇「歌を聞いたら、一斉に斬って捨てよ」

この土蜘蛛を殺す合図となった歌、超訳は下記の通りです。

忍坂の大きな洞窟に人が集まっている。
勇敢な久米の子らが、実は武器を隠し持っていて~
ヤツらを散々撃って殺してしまおう。
勇敢な久米の子らよ、今だ、殺れ。

……そのままじゃん。土蜘蛛側にはばれなかったのかな? まあ、ばれずに、接待役は一斉に襲い掛かり、当地の土蜘蛛は全滅しました。

そうして、今回の東征で、中国地方から関西に上陸していきなりやられた登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ=ナガスネビコ)も蹴散らします。その時に歌われた歌の超訳が下記です。

勇敢な久米の子らの畑にはニラが一本植えてある。
そのニラの根と芽をつないで、一緒にして、
さんざんに撃ってしまおう。

さらにさらに次のような歌も歌ったと言います。

勇敢な久米の子らが垣根のところに山椒を植えた。
山椒はピリリと辛い。
そのピリリとする苦い思い出を私たちは忘れはしない。
さんざんに撃って殺ってしまおう。

大久米命(おおくめのみこと)縦480pxリベンジ、復讐を相当意識していますね。

以上は特に「久米の子」が主役になっており、もう一つ下の歌と合わせて、久米歌と呼ばれているようです。

配下の大久米命(おおくめのみこと)がよほど活躍したのでしょう。

その後大久米命は、神武天皇の再度の嫁取りの場面でも登場し、重要な役割を担っていきます。この東遷での活躍が認められて側近になっていたようです。

さらに×3回、次のようにも歌っています。

神風吹く伊勢の海、
大きな石をはい回っているヤドカリのように、
敵の周囲をはい回って、
さんざんに撃って殺ってしまおう。

「撃って殺ってしまおう」連発で、まあ、実の兄を殺されているわけだから、相当な殺気です。古事記にははっきりとは書いていませんが、ナガスネビコへのリベンジもきっちりコンプリしたようです。

また、兄師木(えしき)・弟師木(おとしき)を撃った際、軍隊が少し疲弊したようです。その時の歌の超訳が下記です。

縦を並べて伊那佐の山の木の間から、
行ったり来たりして敵を見張り、
戦をしていると、腹が張ってくる。
食事係の鵜飼たちよ、今すぐ食べ物を持ってきてくれ。

こうして、反抗する国つ神をすべて平定した後、神武天皇のもとに邇藝速日命(にぎはやひのみこと=ニギハヤヒ)がやって来て、「天つ神の御子が天下りされたと聞いて、後から追いかけて、天降って来た者です」と言い、自分の宝である天つ神の印を差し上げて、家来となりました。

ニギハヤヒは、ナガスネビコの妹・登美夜須毘売(とみやすびのひめ)と結婚しており、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)をもうけています。この宇摩志麻遅命は物部氏(もののべうじ)などの祖に当たります。

東征を完成させた神武天皇は、大和に根を張り、畝傍(うねび)の橿原宮(かしはらのみや)で天下を治めることになりました。

※画像は、「ナガスネビコ」Google画像検索結果のキャプチャー。

【関連記事】
【古事記の傾向と対策】古事記はなぜ神の子の“騙し討ち”を堂々と記載しているの?

【関連キャラ】
神武天皇 - 初代は血筋が良い、おっとり貴公子?
大久米命 - 神武の片腕は斜に構えた万能の自信家

【古事記の神・人辞典】
神武天皇
エシキ
オトシキ
ナガスネヒコ
ニギハヤヒ
トミヤスビメ
ウマシマジ
大久米命

前へ | 目次 | 歌の索引 | 次へ