神武天皇に仕えた石田彦が下賜された玉串を奉安して創祀
石田神社 福井県鯖江市石田上町44-1
[住所]福井県鯖江市石田上町44-1
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石田神社(いわたじんじゃ)は、福井県鯖江市石田上町にある神社。日野川西岸、北陸本線の北鯖江駅の北西約4キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』越前国坂井郡にある「石田神社」、敦賀郡にある「石田神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。社伝によると、神日本磐余彦命(初代神武天皇)の東征の折り、石田彦という人物が、それに従った。石田彦は石田氏の祖とされる。

神日本磐余彦命が越の国を巡幸した際、当地に滞在した時、懐中より玉串を取り出し、「朕今汝に石田郷を与えむと思う。汝朕の命に従い之を無窮に伝えよ」と勅した。

そこで、石田彦は社殿を築き、その玉串を奉安し、日々これを尊崇したといい、このいわれにより、後になって現社号が定着した。

往時、上石田、下石田、小泉の3ヶ村、社家54人が神領を分領し、人民はその恩恵に浴した、と伝わる。中古は八幡神社と号したという。

第107代後陽成天皇の御代、安土桃山時代の慶長3年(1598年)、代官である井上新助が下国の際、水帳改めの上で3600石と定められたが、後にすべて没収された。

明治8年(1875年)、現社号に復し、翌明治9年(1876年)には郷社に列した。御祭神は大日霊貴尊譽田別尊大己貴命少彦名命鵜鵜葺不合尊を配祀する。

御祭神の異説として、『神名帳考証』では五十日足彦命を挙げている。例祭は10月1日。当社の境内社に、稲荷神社、春日神社、石戸別神社がある。

なお、越前国には坂井郡と敦賀郡に同名の式内社がある。当社はその双方の論社であるが、『丹生郡誌』によれば、敦賀郡は丹生郡の誤記だという。

また、当社はもとは坂井郡に属する、現在の福井市石畠町の春日神社の地に鎮座していたが、いずれかの時期に現在地に遷座したともいう。

坂井郡の式内社「石田神社」の論社はその春日神社で、敦賀郡の式内社「石田神社」は一説には廃絶しているともされるが、論社として敦賀市三島町の八幡神社がある。

【ご利益】
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石田神社 福井県鯖江市石田上町
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