応神天皇が気比神宮参拝の際に行宮とした地、石田大神
[住所]福井県敦賀市三島町1-3-3
[電話]0770-22-1193

八幡神社(はちまんじんじゃ)は、福井県敦賀市三島町にある神社。敦賀港の近く、北陸本線の敦賀駅の北西約1.3キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「石田神社(越前国・敦賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

創建は、第15代応神天皇気比神宮に参拝に訪れた際、当地を行宮としたことから、住民が盛土を築き、聖地としたことによる。

後に築地八幡宮とも呼ばれた。飛鳥時代末期の大宝4年(704年)、勅命により石田大神として五十日足彦命が勧請された。

奈良時代後期の宝亀11年(780年)、藤原永手は勅願により、八幡神の御分霊である誉田別尊を勧請して社殿を建立、石田大神は相殿として祀られるようになった。

この石田大神が式内根拠。敦賀郡の式内社「石田神社」は廃絶したとも、あるいは鯖江市石田上町の式内同名神社が参考社ともされる。

また、越前国には坂井郡にも同名の式内社「石田神社」がある。先の鯖江市石田上町の式内同名神社が論社とされ、その旧地が福井市石畠町の春日神社ともされる。

中世に入ると、越前守護職の朝倉氏から庇護され、戦国時代の弘治2年(1556年)には朝倉義景が社殿を造営した。

また、兵法家である疋田景継は、阿弥陀如来を奉納し、毎年120石の米を寄進したと伝わる。

安土桃山時代の天正元年(1573年)、織田信長が越前侵攻のため、当地を訪れ、当社に参拝し、太刀を奉納したともいう。

伝織田信長寄進という、全長105センチ、真鍮板、揚羽蝶模様の彫刻がある日本刀外装が現存する。県指定文化財。

敦賀城の城主大谷吉継は、本殿の龍の彫刻、大鳥居、石灯籠を寄進、小浜藩の藩主酒井忠勝が神輿を寄進した。

明治8年(1875年)、郷社に列し、明治41年(1908年)には神饌幣帛料供進社に指定された。昭和12年(1937年)、県社に昇格した。

御祭神は譽田別尊。石田大神の五十日足彦命を配祀する。例祭は8月24日で、神輿渡御が行われる。本殿は一間社流造、銅板葺き。

拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入り、桁行3間、外壁は柱のみの吹き放し。欄間部は真壁造り白漆喰仕上げ。

藤原宗吉作の剣、大江山酒呑童子絵馬、北前船図絵馬が市の文化財に指定され、楓が市の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
厄災除け、一族・子孫繁栄、地域安全
八幡神社 福井県敦賀市三島町
【関連記事】
福井県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧
八幡神社 福井県敦賀市三島町の御朱印