式内・椛神社とも、本殿・古拝殿・平安期の仏像群が県指定文化財
樺八幡神社 福井県福井市中手町20-27
[住所]福井県福井市中手町20-27
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樺八幡神社(かばはちまんじんじゃ)は、福井県福井市中手町にある神社。九頭竜線の越前大野駅の西約13キロ、国道476号線を進む。後述の古拝殿の中に御朱印があり、自分で押せる。

『延喜式神名帳』にある「椛神社(越前国・大野郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

正式名称は八幡神社。鳥居扁額には「八幡宮」とあり、境内の社号標には「式内 樺八幡神社」とある。創祀年代は不詳。

一説に、奈良時代初期の養老3年(719年)、泰澄大師が白山褌定の際、創建と伝承されている。あるいは天平7年(736年)とも。

当初は、神功皇后誉田別尊武内大臣の三座を祀っていたが、中古、武内大臣を野津又に遷し、神功皇后を河原に遷したという。

現在の御祭神は、誉田別尊一柱。鎌倉時代には、大野郡小山庄地頭伊自良氏の中野手居館があり、氏神として尊崇された。

江戸時代中期に、大木の下若宮社、スワノモト、須波明神を吸収合併した。古来、八幡宮、八幡大菩薩、八幡社、八幡宮明王院と称してきた。

明治9年(1876年)、現社号に改称。明治44年(1911年)、河内住吉神社、神当部八幡神社、南野津又八幡神社、小当見春日神社、西市布八幡神社を合祀した。

大正元年(1912年)、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和21年(1946年)に、合祀した五社を旧地に戻し、分祀した。

例祭は9月13日-15日で、神幸祭。平成10年(1998年)頃までは奉納相撲があった。本殿は三間社流造、もとは茅葺だったが、現在は銅板葺。

正面5.58メートル、側面3.64メートルの規模を持ち、江戸時代中期の享保8年(1723年)の棟札に対応する建造物で、中世の古材も用いられている。県指定有形文化財。

正面4間、側面4間の入母屋造茅葺の古拝殿がある。部材の多くは中世のものと思われ、多くの未使用痕跡などがあり、三間堂程度の建物を大改造して建てられた可能性がある。

宝永年間(1704年-1711年)の大雪で大破したが、嶺北最古の建造物で、やはり県指定有形文化財である。丈六の阿弥陀如来座像を中尊に他四体を安置する。

丈六の阿弥陀如来坐像は木造で、像高176.7センチ、平安時代の作とされる。他四体は、半丈六の阿弥陀如来坐像、大日如来坐像、広目天王立像、多聞天王立像。

他に、大鷦鷯尊坐像(仁徳天皇像)、息長垂姫命坐像(神功皇后像)もある。いずれも平安時代後期の作で、すべての神仏像も県指定有形文化財。

なお、式内社「椛神社」の論社は他に、当社の西、いわゆる河原の社と考えられる、市内東河原町の八幡神社と、大野市の篠座神社に合祀したものがある。

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樺八幡神社 福井県福井市中手町
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