機織りの女神、別当寺は帝龍寺、寺家アカガシ叢林
[住所]富山県富山市舟倉2360
[電話]-

姉倉比賣神社(あねくらひめじんじゃ)は、富山県富山市舟倉にある神社。高山本線の笹津駅の東約2キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「姉倉比売神社(越中国・婦負郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。姉倉姫神社とも。

標高754メートルの御前山の北西麓、寺家公園の中に境内がある。神通川にも近く、富山から岐阜へ抜ける交通の要衝で、古代から開けていた地。

社伝によれば、飛鳥時代末期の大宝年間(701年-704年)の創祀だという。御祭神の姉倉比賣命については、神話が伝わる。

『肯構泉達録』によれば、船倉山の神だった姉倉比賣命は、能登の伊須流伎比古と夫婦だったが、伊須流伎比古は、能登媛と契りを交わしてしまった。

怒った姉倉比賣は、一山の石を投げ尽くして、能登媛を攻撃した。大乱となったため、大己貴命が越路へ赴き、乱を鎮圧した。

責任を問われた姉倉比賣は小竹に流され、布を織って貢物とし、婦女に紡織を教え、罪を償うことになった。

姉倉比賣が機を織る時、蜆(シジミ)の宮の蜆が蝶になって群来した。姉倉比賣が船倉山へ帰るのを許された時、姉倉比賣に従い、船倉の御手洗の蜆となった。

夏になると、その蜆が蝶となって飛び回ると伝わる。なお、配流の地である小竹にも当社と同名の神社があり、当社同様、式内論社である。

あるいは、第10代崇神天皇の御代、姉倉比賣は当地の賊を征伐・統治し、後に農耕と養蚕を地元民に広め、特に機織の神として崇敬されたともいう。

別当寺は帝龍寺(真言宗船弁山帝立寺)で、最盛期は360坊あまり、当社も下社5社を擁し、社領3000石を有する大社だったという。

室町時代の応永年間(1394年-1428年)、兵火により社殿、記録、社宝とも焼失し、これ以前の由緒を失った。

「船倉権現」や「舟倉明神」などと呼ばれてきたが、明治になり、神仏分離令により帝龍寺と分離、明治40年(1907年)、村社に列した。例祭は11月15日。

現在でも神仏習合の名残が残され、帝龍寺に秘仏として祀られている旧本地仏の虚空蔵菩薩像は33年に一度、当社に遷され、御開帳される。

境内は古来より聖地化され、ほとんど人の手が入っていない自然が残され、「寺家アカガシ叢林」として、県の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
事業成功、産業振興、縁結び、安産
姉倉比賣神社 富山県富山市舟倉
【関連記事】
富山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、富山県に鎮座している神社の一覧