伊須流岐比古神社にならった国境の高峰の五社大権現、門杉
高階社 富山県氷見市一刎2075
[住所]富山県氷見市一刎2075
[電話]-

高階社(たかしなしゃ)は、富山県氷見市一刎にある神社。氷見線の氷見駅の北西約13キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「草岡神社(越中国・射水郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

一刎(ひとはね)には上の社と呼ばれる当社に対して、当社の南には八幡宮があり、下の社と呼ばれる。獅子舞などは下の社の八幡宮で開催され、賑わう。

社伝によれば、奈良時代の天平年間(729年-749年)、石動山の伊須流岐比古神社(五社大権現)にならって、能登・越中国境の高峰に五社を建てたのが始まり。

伊須流岐比古神社の五社大権現は大宮大権現・客人大権現・梅宮大権現・火宮大権現・剣宮大権現だが、当社の五社大権現は下記の通り。

コウカイ社・ヒノミヤ権現・蔵王権現・ゴオウギ権現・デガクチ権現

このコウカイが高階で、五社の中心、本宮だと考えられている。現在の御祭神は迦具土命1柱だが、もとは五社それぞれの地に1柱ずつ祀られていた。

かつては日之宮とも称していたが、地震のために氏子人家が滅亡。草岡神社に合祀された。この草岡神社が、式内社「草岡神社」の論社。

江戸時代中期の正徳年間(1711年-1716年)の書上帳に「五社大権現、能州石動山社人清水伊勢守相勤来」、文化2年(1805年)の社号帳に「五社、清水丹波守持宮」とある。

文政10年(1827年)の「一刎村氏子左流」という記録に、当社に関して、高岨の麓に本宮があって、その下に火の宮があった。

その並びに都々迦彦堂という旧地があり、また真孝坊という別当の旧地もあった。引尾の干場という所にも別社を建てた。

しかし、怪事があったため、別社を閉じて、拝殿を明神へ建て替えた。享和元年(1801年)、奇瑞により、往古の社号である現社号に復した。例祭は4月15日。

参道は道路沿いの石段から杉林の中を約400メートルほど登っていく。途中2本の大杉に注連縄が架けられている。いわゆる門杉で、鳥居代わりになっている。

なお、式内社「草岡神社」の論社は他に、射水市の古明神の式内同名神社、戸破の加茂社、先述の下の社である八幡宮がある。

【ご利益】
身体壮健、厄災除け、火防
高階社 富山県氷見市一刎
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