久目部の後裔が久目八ヶ谷を開墾、祖神の大久目命を奉斎、獅子舞
[住所]富山県氷見市久目3229
[電話]-

久目神社(くめじんじゃ)は、富山県氷見市久目にある神社。氷見線の氷見駅の西、市役所のある国道415号線を進み、県道64号線を南下する。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「久目神社(越中国・射水郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。古来、久目部の後裔が、久目八ヶ谷を開墾し、大久目村(池田村)に居住し、祖神を大和から勧請したと伝わる。

御祭神は大久目命。一般にあまり馴染みはないが、『古事記』においては、大久米命と表記され、極めて特徴的な存在感を示す人物。

久米直等の祖で、初代神武天皇の東遷で活躍、畝火の白檮原宮で即位後、皇后として比売多多良伊須気余理比売を紹介した。

久米は「組み」の音転で軍隊を表わす、あるいは隅(くま)の音転で隅々を守るという説がある。『播磨国風土記』に、久米は目の入れ墨に由来する、という。

『古事記』にも、比売多多良伊須気余理比売が大久米命の目の入墨を不思議がる歌を掲載している。

平安時代前期の仁寿元年(851年)、叙位。南北朝時代の永徳元年(1381年)には正四位上に進んだ。

池田村(大久目村)、小久米村、触坂村、桑院村、見内村、岩が瀬村、棚掛村、坪池村など久目八ヶ谷の惣社として崇敬された。

神官・僧侶などが多数奉仕し、隆盛だったが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)の兵乱で社殿などが焼失し、衰微したという。

江戸時代中期の安永4年(1775年)、社殿が造営された。近世までは、八幡宮、あるいは日宮などと呼ばれた。

例祭は9月14日で秋季例祭。久目地区には獅子舞が伝わる。獅子殺しなどの演目がある。また、当社氏子地では、全村犬を飼わない風習があるという。

境内は杉と藪椿の森に囲まれ、一角は椿林になっている。ツバキの名所で、4月上旬から4月中旬にかけてが見頃。

久目集落内にある、神明社(天照皇大神)、八幡社(応神天皇神功皇后・比売神)、諏訪社(建御名方命)という神社は当社の境外末社。

また、当社の西方2キロほど、見内にある戸宮五社は当社の外宮とされる。天忍穂耳命天穂日命天彦根命活津彦命熊野大隅命の五男神を祀る。

なお、式内社「久目神社」は当社でほぼ確定しているが、参考社として、市内大浦の日宮神社がある。

【ご利益】
地域安全、一族・子孫繁栄
久目神社 富山県氷見市久目
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