宇美社旧地か、津波で霊石が流出も再発見、須佐之男生誕地?
[住所]島根県出雲市塩津町279
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石上神社(いしがみじんじゃ/いそのかみじんじゃ)は、島根県出雲市塩津町にある神社。日本海に面した塩津浦(しおつうら)、海岸道路から路地を数十メートル入った高台。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「宇美神社(出雲国・楯縫郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。平安時代の延久元年(1069年)に起きた大津波により、神社も人家も流失し、霊石も海に流されてしまった。

その後、復興が進んだ時、里人である松村家の祖先某に、御神体である霊石が大浦沖の二ツ平島の海底に沈んでいるという神のお告げがあった。

そこで、これを海から引き上げて、現在の社地に奉還したと伝わる。以来、この霊石を土地の人々は「石神様」と呼んで崇敬したという。

一説に、当社の旧社名は『出雲国風土記』に記載されている「宇美社(うみのやしろ)」であると伝えられている。

現在「宇美社」は、宇美神社として、当社から南に約6キロ離れた平田町に鎮座しているが、当社地近辺が宇美神社の旧地ともされる。

社号「宇美」の起源は、御祭神の布都御魂神が出雲国に来臨した際、海上より上陸したことにちなむ。当社地はこの由緒に適う。

「石神」がいずれかの時期に「石上」に転訛し、やがて同名の大和国石上神宮に仮託され、もとは海童(和田津見命)が御祭神だったが、布都御魂命になったともされる。

布都御魂神が実は素盞嗚尊の父で、布都御魂神は新羅から渡ってきた渡来神であり、当地で素盞嗚尊を生んだ、という説もある。

江戸時代中期の地誌『雲陽誌』楯縫郡塩津の条には「石上明神 社ナシ幣帛ヲ立ルナリ」とある。現在も拝殿の裏側に本殿はなく、江戸中期以来の様相を呈している。

明治4年(1871年)、近くの船守神社に合祀されたが、和泉定路という人が当社の由緒を鑑み再興を出願した。

それが認められて明治9年(1876年)に復旧、大正11年(1922年)、村社に列し、神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は11月8日、あるいは11月第1土・日曜日か。地元の子供、大人の神楽が奉納される。当地には塩津神楽が伝わる。

境内社に、龍神社(大彦龍命・大姫龍命)、稲荷社(稲倉魂命)、荒神社(須佐之男命)がある。

【ご利益】
海上安全、大漁満足、厄災除け
石上神社 島根県出雲市塩津町
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