巨石信仰「座王さん」、近世式内比定敗れるも風土記記載社
恵曇神社 島根県松江市鹿島町佐陀本郷655
[住所]島根県松江市鹿島町佐陀本郷655
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恵曇神社(えともじんじゃ)は、島根県松江市鹿島町佐陀本郷にある神社。松江市街より北西約10キロ、佐陀川北岸。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「惠曇神社(出雲国・秋鹿郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。式内社「惠曇神社」は、『出雲国風土記』に「恵杼毛社」とある。他の論社に当社の西、恵曇に同名神社がある。

『出雲国風土記』に、「恵曇郷…磐坂日子命、国巡行坐時、至坐此処而詔…吾之宮者是処造事者…」とある。これと関連して当社には後述の巨石がある。

江角浦にある恵曇の同名神社はむしろ『出雲国風土記』に別にある「恵曇海辺社」ではないかとの説がある。

室町時代の永享10年(1438年)、地頭職朝山右京之進昌景の母が祈願した。戦国時代の天文10年(1541年)、社殿が造営された。

江戸時代になると、畑垣大明神という名称が定着、寛文5年(1665年)に社殿が造営された。式内論争では、恵曇の同名神社が比定された。

明治4年(1871年)、村社に列し、幡垣神社(畑垣神社)に改称した。明治11年(1878年)6月、現社号に復した。

明治45年(1912)5月、神饌幣帛料供進社に指定された。御祭神は、磐坂日子命。素盞嗚尊の御子神であり、当地を治めたと伝えられている。

例祭は10月13日。棟札は、寛文5年より昭和43年(1968年)まで、本社建立・修復の記文あるものが14枚現存する。

本殿裏の丘、石段を登った所より18メートル先の左側に、三個の巨石があって、昔から「座王さん(坐王さん)」と親しまれている。

これは当社御祭神が国土開発のため、諸国を巡った際、腰掛けた岩だと伝えられている。平成になり、参拝の便が考慮され、石段が設けられた。

【ご利益】
地域安全、産業振興、事業成功、交通安全
恵曇神社 島根県松江市鹿島町佐陀本郷
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