孝元天皇即位の宮地跡、雄略朝活躍の渡来人・身狭村主青が創祀
[住所]奈良県橿原市見瀬町718
[電話]0744-42-5602 - 八幡神社

牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)は、奈良県橿原市見瀬町にある神社。近鉄吉野線の岡寺駅の西すぐ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「牟佐坐神社(大和国・高市郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。

当社境内は第8代孝元天皇が即位した宮地と伝えられている。当社の創祀は、第20代安康天皇の御代、渡来人の身狭村主青が生雷神を祀ったのが始まりとされている。

身狭村は現在の見瀬町で、この身狭が社名の牟佐になったようだ。大和国高市郡に属し、阿知吉師が率いて帰化した東漢氏の本拠地とされている。

身狭村主青は、倭の五王の一人とされている第21代雄略天皇の寵臣で、『日本書紀』は雄略天皇8年(464年)と雄略天皇12年(468年)に呉の国(宋)に派遣されたとある。

『新撰姓氏録』には、「左京諸蕃 漢 牟佐村主 呉孫権の男(子)高より出る也」とある。中国南朝との外交交渉などに従事したという。

『日本書紀』第40代天武即位前紀7月条に、「(壬申の乱で)天武軍が金綱井に集結したとき、高市県主許梅がにわかに神懸かりのようになった。

そして、「吾は高市社にいる事代主神である。また身狭社(牟佐社)にいる生霊神である。神武天皇陵に馬や数々の武器を奉れ」と告げた。

そこで許梅を遣わして、神武天皇陵に参詣させて馬と武器を奉り、高市・身狭の二社に弊を奉ってお祀りした。当社はこの中の身狭社である。

『日本三代実録』によれば、平安時代前期の天安3年(859年)1月27日、牟佐坐神が従五位下から従五位上に進んでいる。

江戸初期まで榊原(境原、さかいばら)天神と称されていたという。江戸時代中期の享保年間(1716年-1736年)には菅原道真公を御祭神としていた。

明治に至り、古道再び明らかにと、天津神である高皇産霊神を奉祀するようになった。現在は孝元天皇も併せて祀る。例祭は10月9日。1月8日が新年祭、毎月9日が月次祭。

高取川に架かる橋の右岸のたもとには、「孝元天皇軽境原宮址」と刻まれた石碑が立てられている。

【ご利益】
平穏安寧、武運長久・勝運、学業・受験合格
牟佐坐神社 奈良県橿原市見瀬町
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