経堂や源頼朝・尼子経久ゆかりの鉄塔、10月に高野聖など祭礼風流
[住所]島根県大田市大田町大田諏訪ロ980-954
[電話]0854-82-1061

南八幡宮(みなみはちまんぐう)は、島根県大田市大田町大田諏訪にある神社。近代社格では郷社。鶴岡南八幡宮、鶴岡八幡宮、鶴丘南八幡宮、大田南八幡宮などとも。御朱印の有無は不明。

静間川(三瓶川)の南岸、山陰本線の大田市駅の南約1.3キロ。西すぐ近くに大田市役所がある。当社の北、三瓶川を越え、大田市駅ほど近くに喜多八幡宮がある。

喜多八幡宮が「きたのみや」と呼ばれるのに対して、当社は「みなみのみや」。両社合わせて、大田両八幡宮とも。

また、喜多八幡宮は北八幡とも呼ばれ、当社が南八幡。やはり一対。双方とも旧別当は高野山真言宗如意山円応寺だった。

鎌倉時代前期の嘉禄2年(1226年)、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して創建された。御祭神は応神天皇・比売神・神功皇后

境内には幕末の安政3年(1856年)建立の経堂が残る。六角経堂とも呼ばれ、県指定文化財となっている。

経堂内部には源頼朝が寄進し、尼子経久が修復したと伝えられている鉄塔が納められている。総高182センチで、笠部・塔身・台座という鋳造品で作られている。

塔身には経文を納めるための差入口が付いていて、「十七」の銘文も見える。また、台座には蓮弁が鋳出されている。

鉄塔を載せた礎石は凝灰岩製で、六角形の台座状をしており、その下部に同じ凝灰岩製の円筒が埋置されている。

この鉄塔内部からは、経筒165口(168口とも)・経石・懸仏2・飾金具2・鉄製品1・泥塔1・土器1・銭貨667枚が発見されている。

経筒は銅製経筒で、高さは平均11センチ、口経は5センチ前後。「奉納大乗妙典六十六部内一部」の銘文が刻まれている。

銘文には奉納の年号や、六十六部の出身地も記されている。それによると永正10年(1513年)から元亀2年(1571年)までの年号がみられる。

鉄塔の形式は他に例を見ないもので、北部九州を中心に分布する平安時代末期の作風に近いとされている。県指定文化財。

明治になってからだろうか、諏訪神社を合祀した。この諏訪神社は、『延喜式神名帳』にある「苅田神社(石見国・安濃郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

式内社「苅田神社」の論社は他に、市内久手町波根西に式内同名神社がある。

当社の例祭は10月15日。喜多八幡宮と同日である。両社の祭礼前、負幟や高野聖などを担い行列を作って街路を練る神事が行われる。

「大田両八幡宮祭礼風流」である。伝承によれば、平安時代前期、高野山から聖宝導師が八幡宮に参詣した時の模様を映し、それに飾り付けを行ったものとされる。

【ご利益】
厄災除け、安全、地域安全、無病息災
南八幡宮 島根県大田市大田町大田諏訪
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