式内・市川神社の論社、宮中八神殿の神を祀る、江戸初期宮殿
[住所]新潟県胎内市乙1122
[電話]-
八所神社(はっしょじんじゃ)は、新潟県胎内市乙(きのと)にある神社。『延喜式神名帳』にある「市川神社(越後国・沼垂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。御朱印の有無は不明。
羽越本線の坂町駅の西約5キロ。日本海側の国道113号線と日本海東北自動車道の間、日本海カントリークラブの近く。県道402号線で、県道3号線との乙交差点を直進する。
奈良時代の天平8年(736年)開基の乙宝寺の境内背後の高台に鎮座する。当社は平安時代初期の大同2年(807年)に勧請されたのが始まりとされる。
当初は砂山に鎮座していたが、川で流され、多くの人達が集まる市場のような所に流れ着いたことから、市川神社と名付けられ、奥山荘黒川条内乙郷44ヶ村の総鎮守になった。
市川は神聖なる川、激しい流れの意とも。乙大日川のことともされる。式内社「市川神社」の論社は他に、新潟市北区松浜本町の松浜稲荷神社がある。
乙宝寺境内の、大日堂と六角円堂の間に鎮座している。乙宝寺と古くから神仏習合し、その鎮守でもあったと考えられている。市川八所大明神などとも称した。
現在の宮殿は、江戸時代初期の元和6年(1620年)に建立されたもの。身舎桁5尺、染間4.5尺、向拝の出4尺の一間社流造で、全体に一見して手筋の良さが感じられる。
県指定重要文化財。工法などから、前身の古材を利用して、江戸時代前期の元禄12年(1699年)、建て替えられたと推定されている。
御祭神は神皇産霊神・高皇産霊神・玉留産霊神・生産霊神・足産霊神・大宮女命・御食津神・事代主神の御巫等祭神八座(八神殿)。
8柱の神を祀るところが、現社号の由来か。明治40年(1907年)、村内の神明宮(天照大御神)を合併した。例祭は5月14日が祈年祭、8月29日が新嘗祭。
【ご利益】
地域安全、平穏安寧、諸願成就
【関連記事】
・新潟県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、新潟県に鎮座している神社の一覧
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八所神社(はっしょじんじゃ)は、新潟県胎内市乙(きのと)にある神社。『延喜式神名帳』にある「市川神社(越後国・沼垂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。御朱印の有無は不明。
羽越本線の坂町駅の西約5キロ。日本海側の国道113号線と日本海東北自動車道の間、日本海カントリークラブの近く。県道402号線で、県道3号線との乙交差点を直進する。
奈良時代の天平8年(736年)開基の乙宝寺の境内背後の高台に鎮座する。当社は平安時代初期の大同2年(807年)に勧請されたのが始まりとされる。
当初は砂山に鎮座していたが、川で流され、多くの人達が集まる市場のような所に流れ着いたことから、市川神社と名付けられ、奥山荘黒川条内乙郷44ヶ村の総鎮守になった。
市川は神聖なる川、激しい流れの意とも。乙大日川のことともされる。式内社「市川神社」の論社は他に、新潟市北区松浜本町の松浜稲荷神社がある。
乙宝寺境内の、大日堂と六角円堂の間に鎮座している。乙宝寺と古くから神仏習合し、その鎮守でもあったと考えられている。市川八所大明神などとも称した。
現在の宮殿は、江戸時代初期の元和6年(1620年)に建立されたもの。身舎桁5尺、染間4.5尺、向拝の出4尺の一間社流造で、全体に一見して手筋の良さが感じられる。
県指定重要文化財。工法などから、前身の古材を利用して、江戸時代前期の元禄12年(1699年)、建て替えられたと推定されている。
御祭神は神皇産霊神・高皇産霊神・玉留産霊神・生産霊神・足産霊神・大宮女命・御食津神・事代主神の御巫等祭神八座(八神殿)。
8柱の神を祀るところが、現社号の由来か。明治40年(1907年)、村内の神明宮(天照大御神)を合併した。例祭は5月14日が祈年祭、8月29日が新嘗祭。
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