平安初期に三明山に降臨、後に三つに分かれたうちの一つ
三宅神社 新潟県長岡市妙見町215-1
[住所]新潟県長岡市妙見町215-1
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三宅神社(みやけじんじゃ)は、新潟県長岡市妙見町にある神社。信濃川東岸。国道17号線の三国街道で信濃川を渡ったすぐ。上越線の線路が当社すぐ北の所で二股になっており、その間に鎮座する。

御朱印の有無は不明。『延喜式神名帳』にある「三宅神社二座(越後国・古志郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

平安時代初期の大同2年(807年)、大彦命の御子神である波多武日子命とその后神で、天日桙命の娘である天美明命が三明山に降臨した。

三明山は現在の金倉山で、標高581メートル。三明山の三つの頂、幡持山には大彦命、幕山には天日桙命、美明山には波多武日子命と天美明命を祀った。

その後、妙見集落に大彦命、中潟集落に天日桙命、六日市集落に波多武日子命と天美明命が遷座し、ともに三宅神社を称して信仰されるようになった。

妙見集落のものが当社で、当社の御祭神は大彦命。中潟集落のものが宇都宮神社とも呼ばれる三宅神社、六日市集落のものがやはり三宅神社である。

この三社が式内社「三宅神社二座」の論社とされるが、論社というよりは、式内前後に分離独立した形か。三座ではなく、二座なのは不詳。

金倉山山頂には現在も奥の院の石碑が立っているという。ちなみに、金倉山山頂は小丹生神社の旧地ともされる。

その後の経緯は不詳。江戸時代には仏教における信仰対象である天部の一つ妙見菩薩と神仏習合し、「妙見」と呼ばれたという。

当社の南数百メートルの小山、直線では行けずに迂回するので線路を渡って約1キロ、妙見児童遊園があり、その一角の頂上に妙見神社が鎮座する。

この妙見神社は、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)の勧請と伝えられるが、当社の影響のもとでの勧請だろうか。現在では、こちらの妙見神社の方が大きく、立派。

当社は明治になり、現社号に復し、明治6年(1873年)、村社に列した。明治40年(1907年)、神明社(豊受大神)と諏訪社(健御名方命)を合併した。

現在の社殿は昭和15年(1940年)の再建。拝殿は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付。鳥居がまったくないのも特徴。

例祭は4月28日・29日が春季大祭、9月28日・29日が秋季大祭。

【ご利益】
地域安全、家内安全
三宅神社 新潟県長岡市妙見町
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