平安初期の勧請、7月例祭の高砂人形「チャンチャコババサ」
[住所]新潟県五泉市村松甲5959
[電話]0250-42-5195

住吉神社(すみよしじんじゃ)は、新潟県五泉市村松にある神社。近代社格では村社。磐越西線の五泉駅の南約6.5キロ、南に日枝神社がある。御朱印の有無は不明。

平安時代初期の大同元年(806年)、勧請されて創建されたのが始まりと伝わる。

江戸時代前期の正保2年(1645年)、村松藩2代藩主堀直吉が堀家の宗霊を勧請して合祀し、寛文2年(1662年)に東山(太子山)に遷座した。

しかし、船が山頂まで登れないとの御告げがあり、寛文4年(1664年)に現在地に遷座した。社領5石が安堵され、藩費で社殿の造営が行われ、多くの奉納物の寄進を受けた。

神明宮春日神社、日枝神社、矢津八幡宮とともに村松藩五社に数えられ、堀家の崇敬社となり、江戸時代中期の天明8年(1788年)、本殿が再建された。

これは藩祖である堀直奇の150年忌によるもので、三間社流造、鉄板葺、向拝に精緻な彫刻がある。棟梁4代目小黒杢右衛門の手によって再建されたもの。

江戸時代後期の天保9年(1838年)、直寄200年忌で拝殿が再建された。入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、桁行5.5間、梁間3間、正面1間唐破風向拝付き。

この拝殿は5代目小黒杢右衛門が担当したもの。これらの社殿は、「住吉神社社殿(本殿・拝殿)」として、市指定有形文化財に指定されている。

民衆からも信仰され、「殿様のお宮」として竣工時には多くの屋台が出て、藩主や家臣達とともに祝ったとされる。

明治8年(1875年)、村社に列した。御祭神は底筒男命中筒男命上筒男命住吉三神と、息長足姫尊。総称して、住吉四社大神。他に、奥田氏種・堀直奇を祀る。

奥田氏種は不明だが、南北朝時代の武将である斯波満種の三男に源三郎氏種がいる。尾張国中島郡奥田庄の領主となり、奥田氏を称した家系の祖にあたる。

この奥田家が3代目の直種の代で断絶のところ、養子となり、奥田家を相続したのが奥田秀種。尾張国奥田庄から後に美濃国茜部に移住した。

土岐氏の家臣となり、近江国へ度々合戦へ赴き手柄を立て、近江の佐々木一門との合戦で、佐々木氏の「四つ目結び」の旗指物を奪い取った。

この四つ目のうちの一つをとり、「釘貫き」の家紋とした。斯波氏を祖とし、奥田氏系の村松藩の堀家はこの「釘貫き」を家紋として引き継いだ。

現在、例祭は4月28日・29日、7月28日・29日。夏の例祭では「チャンチャコババサ」の高砂人形や灯篭が飾られるなど、当時の故事に倣い、盛大な行事となっている。

なお、高砂人形は「チャンチャコババサ」の他、「ちゃんちゃこばば様」とも。独特のお囃子がある。長い間、テープによる演奏だった。

平成になり、地元の有志が「ちゃんちゃこばば様の会」を結成、囃子を譜面に落とし、生演奏に取り組み、約50年ぶりに優雅な生演奏で祭礼が行われた。

7月28日の夜宮には、威勢の良い掛け声とともに、現在地に落ち着いた故事のある、伝統の舟神輿が商店街に繰り出し、祭を盛り上げる。夜宮には多くの露店も立ち並ぶ。

境内社に、松尾大明神がある。

【ご利益】
交通安全、安産、地域安全
住吉神社 新潟県五泉市村松
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