南北朝期から山王権現、境内に天神社は宇都良波志神社か
中山神社 新潟県五泉市橋田戊398
[住所]新潟県五泉市橋田戊398
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中山神社(なかやまじんじゃ)は、新潟県五泉市橋田戊にある神社。磐越西線の五泉駅の西約4.5キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』越後国蒲原郡にある「中山神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

石の鳥居をくぐると、鬱蒼とした杉並木となり、長い石段の参道が始まる。杉の巨樹を見上げながら石段を登ると、拝殿が見えてくる。本殿は拝殿の裏の一段高くに鎮座する。

奈良時代末期の延暦3年(784年)の勧請と伝わる。延暦年間(782年-806年)には社領7000貫を領していたという。

式内社「中山神社」の論社は他に、三条市西大崎の当社および式内同名神社、阿賀野市宮下の旦飯野神社がある。

鎌倉時代後期の正和2年(1313年)、覚圓が鋼鏡4面を献納した。南北朝時代の康永3年(1344年)、坂本日吉大社の御分霊を勧請、合祀した。

それ以降、山王権現などと呼ばれるようになった。歴代領主からも崇敬、庇護され、戦国時代の天文16年(1547年)には護摩堂城主平賀爲資が社殿の改修と社領を寄進した。

また、火事で焼失後に社殿が再建された。天文22年(1553年)、上杉家家臣の志田孫四郎が社殿の改修を行い、春日山城主上杉家の祈願所として庇護された。

江戸時代に入ると、新発田藩主溝口家の崇敬社となり、社領6反2歩が寄進され、慶長3年(1598年)には溝口勝秀が、延宝元年(1673年)には溝口伊豫が参拝した。

幕末の嘉永5年(1852年)、社殿が造営された。拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付。本殿は流造。

拝殿の向拝欄間、木鼻、蝦虹梁、本体の蟇股などには精緻な彫刻がある。明治になり、仏式が廃されて一旦は日枝神社に改称した。

明治5年(1872年)、村社に列し、明治35年(1902年)、当社境内に天神社(少名彦名命天穗日命)が遷座、明治44年(1911年)に当社は現社号に復した。

もとは旧橋田村の鶉橋に鎮座していた境内の天神社は、『延喜式神名帳』越後国蒲原郡にある「宇都良波志神社」に比定される式内社(小社)の論社。

式内社「宇都良波志神社」の論社は他に、五泉市宮町の五泉八幡宮がある。当社そのものが式内社「宇都良波志神社」とする説もある。

当社の本社の御祭神は大名牟遅命で、大山咋命を配祀する。例祭は春季例祭が5月5日、秋季例祭が8月第4土・日曜日。

境内社に、神明宮や須賀社があり、諏訪社(建御名方命)・稲荷社・八幡社・舛箕社は一つの社殿内に鎮座している。舛箕社はもとは天神社の末社だった。

【ご利益】
厄災除け、家内安全、病気平癒、リフレッシュ
中山神社 新潟県五泉市橋田
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