清水首の祖が勧請して創建、清水郷7ヶ村の惣社もその後衰退
清水神社 長野県長野市信更町三水1464-1
[住所]長野県長野市信更町三水1464-1
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清水神社(しみずじんじゃ)は、長野県長野市信更町三水にある神社。篠ノ井線の稲荷山駅の北西約6.5キロ、犀川の水内ダムの手前。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「清水神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。三水清水神社とも。

創祀年代は不詳。社伝によれば、上古、任那からの帰化した都怒賀阿羅斯比人の後裔で、清水首の祖が当地を開拓し、道を造り、久米路の橋を渡した。

当地の市駅を興した功により、当地の名を取り、清水首の姓氏を賜った。その清水首の祖が、手力男命を崇敬し、勧請したという。

現在までに天思兼命・天表春命(天下春命)を配祀しているが、これは、戸隠神社の奥社、中社・宝光社という形式に当てはまる。

当社周囲には清水が湧き出し、そこで清水と称していたが、いつしか、清水が「左美都」と訛り、また清水が3ヶ所あったことから地名は三水と変化したという。

境内には小池があり、種池と呼ばれていた。暴雨や大干ばつでも増減もせず、清濁もしなかったという。

往古は氷山大神と称して、清水郷7ヶ村の惣社として社領社域は広大だったが、戦乱により荒廃した。

また、戦国時代の天文年間(1532年-1555年)、遙拝所として里宮を二社造営した。以来、本社はますます衰頽したという。

さらに、江戸時代後期の天保年間(1831年-1845年)に社家宅が焼失、弘化4年(1847年)には震災で古記録や神宝が散逸した。

明治25年(1892年)8月、政府に申請して、現社号の許可と式内社の認定を受けたという。例祭は7月15日。

なお、式内社「清水神社」の論社は多く、他に、市内の真島町真島信更町田野口千曲市力石にそれぞれ当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、産業振興、事業成功
清水神社 長野県長野市信更町三水
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