犀川支流の高瀬川、安曇族の泉小太郎伝説、穂高神社の父神を祀る
川会神社 長野県北安曇郡池田町大字会染12079
[住所]長野県北安曇郡池田町大字会染12079
[電話]-

川会神社(かはあいじんじゃ)は、長野県北安曇郡池田町にある神社。大糸線の安曇追分駅の北東約1.5キロ、高瀬川を越え、その東岸。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 安曇郡「川會神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

現在は字十日市場に鎮座する。社伝によれば、第12代景行天皇の御宇、有明の里(安曇の郷)の草創の神を祀った社だという。

御祭神は底津綿津見命。社号は、犀川の支流である高瀬川と木崎湖より発する農具川の合流地点に祀られたことによる。

往古は現社地の北西80メートルの宮地、字嶋ノ宮の地に鎮座しており、嶋の大明神とも称された。もとは川の中島だったかもしれない。

その頃、当地は湖沼で、湖水に白毛の犀が住んでいたが、高梨に棲む蒼犀と結婚し、「和泉の真郎」を産む。

「和泉の真郎」が成長し、母犀に会いに来たところ、父母の名前は「底津彦、底津姫」であると教えられた。

そして、母犀の背に乗り、岩を砕いて、湖水を川に流して陸地とし、有明の里とした、という。

「和泉の真郎」はそこに館を立てて一子をもうけ、「和泉の太郎」と名付けた。「和泉の太郎」は、山岳洞窟に棲む妖鬼を退治し、村人の暮らしを守った。

しかし、100歳で神去り、河會明神となったという。これは安曇の伝説「日光泉小太郎」の話と同じもの。当社境内にも泉小太郎ゆかりの里の碑がある。

日光泉小太郎では、母犀は諏訪大明神の化身となっているが、当社では底津綿津見命となっている。穂高神社の御祭神である穂高見命の親神である。

飛鳥時代の白鳳2年(673年)、社殿建て替えが行われた。平安時代初期の大同年間(806年-810年)、坂上田村麻呂が当社に布陣した。

この地で賊を退治し、その神恩に感謝して、当社を改築したという。平安時代末期の天永元年(1110年)、高瀬川の氾濫によって流出した。

永久3年(1115年)9月、東方200メートルの地、字古宮に遷座した。戦国時代、武田信玄による侵攻で、当地や当社も兵火に遭い、焼失した。

その際、古文書や社宝も失われたが、その後再建。江戸時代中期の安永7年(1778年)、再度流出し、天明3年(1783年)に現社地に遷座した。

境内社に、秋葉社、大神宮、諏訪社、戸隠社、八幡社、天満宮がある。境内には他に、江戸時代後期の歌人、香川景樹(1768年-1843年)の高弟である内山真弓の和歌の歌碑がある。
志きしまの 道ハあまりに ひろければ 道ともしらて 人や行くらん
【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、地域安全
川会神社 長野県北安曇郡池田町
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