平安初期再建の記録、もと青野明神、9月例祭で獅子舞奉納
粟野神社 長野県長野市豊野町石2644
[住所]長野県長野市豊野町石2644
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粟野神社(あわのじんじゃ)は、長野県長野市豊野町石にある神社。北しなの線の豊野駅の西約2キロ。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「粟野神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。境内には古墳がある。御祭神は天日方奇日方命。別名は武日方命・櫛御方命・阿田都久志尼命・鴨主命など。事代主神大物主命)と活玉依比売命の御子神である。

天日方奇日方命は、大神朝臣・賀茂朝臣の祖であり、初代神武天皇に仕え、申食国政大夫となって天皇を助けたといわれている。

平安時代初期の天長2年(825年)、再建という古記録があり、これ以前には存在していた。貞観2年(860年)2月、神位を賜わったという。

平安時代前期の永観2年(984年)8月、宮殿を再建した。永承2年(1047年)2月、当地の蛇越という所で山崩れがあり、村は壊滅。

ただし当社氏子に被害はなく、当社の御神威・御神徳の現れ、とされた。室町時代の応永2年(1395年)、社殿が再建された。

戦国時代の永緑年間(1558年-1570年)、兵火により廃亡したが、その後再建された。災害もあり、被災したが、青野明神として崇敬された。

江戸時代中期の天明6年(1786年)12月2日、神祇管領の京都吉田家より現社号の奉称が認められ、改称した。

江戸時代後期の弘化4年(1847年)3月、震災があって被災、境内地は壊滅的な打撃を受けたようで、古碑1基を残すのみとなったたが、嘉永元年(1848年)、再興された。

神宮寺として、真言宗高野山伝法院の末である神護寺があったが、今は跡のみをとどめている。

明治になり、村社に列した。例祭は9月15日。現在は9月第3日曜日に、夜宮として秋季例大祭が行われ、南石と北石による獅子舞い奉納がある。

式内社「粟野神社」の論社は他に、市内上野に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
家内安全、地域安全、五穀豊穣
粟野神社 長野県長野市豊野町石
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