銅鐸や弥生期の遺跡、鎌倉期の木造新造・狛犬、旧暦1月にみょうが祭
[住所]京都府与謝郡与謝野町明石599
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須代神社(すしろじんじゃ)は、京都府与謝郡与謝野町明石にある神社。京都丹後鉄道宮豊線の与謝野駅の南西約4キロほど。国道176号線を南下。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「須代神社(丹後国・与謝郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。須勢理姫の社とも呼ばれる。

創祀年代は不詳。もとは現在地の2町ばかり北の鹿の谷という地に鎮座していたという。坂代神社とも呼ばれた。

『日本三代実録』元慶4年(880年)10月13日に、「丹後国正六位上坂代神に従五位下を賜う」とある。

ただし、一説に、鹿の谷に鎮座していたのが当社、現在地に鎮座していたのが坂代神社で、もとは別々の神社であり、後に合併したとも。

江戸時代中期の寛保3年(1743年)8月、現在地に遷座して再建された。明治6年(1873年)2月、村社に列した。

御祭神は須勢理姫命天明玉命天太玉命倉稲魂命を併せて祀る。当社では倉稲魂命を須勢理姫命の兄とする。確かにいずれも素戔鳴命の子であることには間違いない。

明治26年(1893年)10月13日、大雨の後、当社の裏山の丘陵南斜面が崩れ、その地から銅鐸が発見された。いわゆる須代銅鐸で、現在も出土地が保存されている。

出土した銅鐸は表面に流水文様がある「扁平紐式」と呼ばれるもので、高さ45センチ。出土地の近くには弥生時代中期から始まる須代遺跡がある。

この遺跡はこれまでの調査からムラのまわりに幅5メートルの溝をめぐらした、巨大な環濠集落だったと考えられている。

おそらく、この銅鐸も須代ムラが所有していたものと考えられ、当社祭祀の起源との関連も指摘されている。なお、この銅鐸は京都国立博物館で保管されている。

大正12年(1923年)8月、本殿、拝殿を再建した。例祭は4月25日が春季例祭、9月23日が秋季例祭。旧暦1月5日、現在は毎年2月11日に茗荷祭(みょうが祭・茗荷まつり)がある。

境内にある茗荷田での茗荷の発芽状況により、その年の稲作の豊凶を占う神事で、品種の選定と豊作を祈る祭典が行われる。当日はバザーも行われる。

当社には、木造神像として、30センチから45センチほどの男神像三躯・女神像一躯、43センチほどの木造狛犬一躯が伝わる。

いずれも虫害が著しく、面相は定かではないが、いずれも檜を用いた一木造りで、鎌倉時代の作とされる。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、事業成功、産業振興
須代神社 京都府与謝郡与謝野町明石
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