式内論社とも、細川幽斉が大和の吉野から桜を求めた伝承
吉野神社 京都府宮津市文殊287
[住所]京都府宮津市文殊287
[電話]-

吉野神社(よしのじんじゃ)は、京都府宮津市文殊にある神社。『延喜式神名帳』にある「吾野神社(丹後国・与謝郡)」に比定される式内社(小社)の論社。御朱印の有無は不明。

京都丹後鉄道宮豊線の天橋立駅の西すぐ、字宮ノ谷。天橋立駅に降りれば、多くの人は東の天橋立方面に向かうことになるため、ほとんど人通りもない。

創建年代は不詳だが、細川幽斉が織田信長より丹後地方を与えられ、宮津城を築いた際に、大和の吉野から桜を求めこの地に植えた、とも。

式内社であれば、これでは遅すぎるので、当社が式内社だった場合、この伝承が本当だったとしても、再興などの意味合いがあるか。

吉野大神とも称され、もとは知恩寺の鎮守だったという。往時は、三寶荒神(三宝荒神)とも称したが、明治の神仏分離令で現社名に改称した。御祭神は不詳。

境内社に稲荷神社である。石に彫った扁額が素晴らしい。拝殿向拝中央に竜の彫り物が見えるが、梁間がやや狭い。

竜は、左前方を睨み、目は赤く塗られて、左前方の宝珠をしっかり握っている。木鼻は定番の唐獅子と獏、持ち送りは菊の花、手挟みは波に浮かぶ水鳥、兎の毛通しには鳳凰。

脇障子は、神仙説話の黄河の治水と牛を引く鉄拐仙人である。丹波柏原の6代目中井権次橘正貞の若いころの彫り物。

なお、式内社「吾野神社」の論社は他に、与謝野町加悦の加悦天満宮の境内社である吾野神社と、市内須津吉里の須津彦神社がある。

【ご利益】
地域安全
吉野神社 京都府宮津市文殊
【関連記事】
京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧