式内・兵主神社の旧地とも下社とも、10月例祭で子供相撲
[住所]兵庫県朝来市山東町溝黒537
[電話]079-676-2465 - 粟鹿神社

八幡社(はちまんしゃ)は、兵庫県朝来市山東町溝黒にある神社。与布土川の東岸。八幡神社とも。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「兵主神社(但馬国・朝来郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

播但線の竹田駅の東約4.7キロ。県道277号線を東進し、与布土川を越える。兵庫県神社庁はじめ、当社の住所は森706とされるが、実際には溝黒の地。

創祀年代は不詳。式内社「兵主神社」について、『国司文書 但馬神社系譜伝』には下記の記載がある。
孝徳天皇の大化三年(647年)秋三月、朝来軍団の主帳である朝来直知嘉麿は、兵主神社を兵庫の側に祀り、兵庫守護の霊神(素戔嗚命)となし、かつ祖である天砺目命を下座に合祀した。
『国司文書 但馬郷名記抄』によれば、朝来村は柿坪で、朝来直在住の地。朝来直は、丹波国、今は丹後国加佐郡朝来の人、だという。

式内社「兵主神社」の論社は他に、柿坪に式内同名神社がある。当地はその式内同名神社の旧地だという指摘もある。

また、『国司文書 但馬神社系譜伝』にあるように、式内社「兵主神社」は上座と下座に分かれている。

そこで、当地の小字名が宮馬場であることから、軍団の乗馬練習場であったとして、柿坪に式内同名神社が上座(上社)、当社が下座(下社)とする向きもある。

『式内社調査報告』では、「当社社地の方が相応しい」とのみあり、根拠も何もないが、当社というより、当地が問題になっているようだ。

明治6年(1873年)10月、村社に列し、大正2年(1913年)には若一王子社、桜木社を合祀した。御祭神は誉田別尊。例祭は10月17日。

当社北東3.7キロに、当地の中心的な神社である粟鹿神社がある。粟鹿神社をはじめ、この地域では、曜日に関わらず、10月17日に秋祭りが行われる。

秋祭りには、当社境内で子供相撲が行われる。当社殿下の石垣は相撲桟敷として今も使われている。当社西方、竹田城下の表米神社に、全国的にも珍しい相撲桟敷が残っている。

【ご利益】
厄災除け、無病息災、身体壮健
八幡社 兵庫県朝来市山東町溝黒
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