当地の軍団兵庫の側に飛鳥朝の創祀、鳴瀧大明神とも、大ケヤキ
久刀寸兵主神社 兵庫県豊岡市日高町久斗491
[住所]兵庫県豊岡市日高町久斗491
[電話]0796-42-0514

久刀寸兵主神社(くとすひょうずじんじゃ)は、兵庫県豊岡市日高町久斗にある神社。円山川の支流である稲葉川の北。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「久刀寸兵主神社(但馬国・気多郡)」に比定される式内社(小社)。兵主神社の一つ。近代社格では村社。

山陰本線の江原駅の西約2キロ。北近畿豊岡自動車道の日高神鋼高原ICの西、北には国道482号線が走り、久斗トンネルの南に鎮座する。

『国司文書 但馬故事記』によれば、第36代孝徳天皇の御宇、大化3年(647年)、多遅麻国気多郡高田村に兵庫を造り、郡国の甲冑・弓矢を収集し、軍団を置いた。

第41代持統天皇3年(689年)閏8月、忍海部広足を多遅麻の大穀とし、生民4分の1を点呼し、武事を講習させた。その際、兵主神を久刀村の兵庫の側に奉斎した。

ただし、通説では、軍団の置かれた大化3年が当社の創立年ともされる。『日高村郷土誌』には下記のようにある。
大日本神祇志」第17に、「久斗寸兵主神社 寸、即ち村の省字。今は久斗村と称す。鳴滝大明神。相伝祀 須佐之男命多寸比売命説云々
この「寸」は、「村」の略字という説。そのため、当社名の読みにも諸説あり、「寸」を「す」と読むのは誤り、とも。「くどわひゃうず」などともされる。

また、鳴滝大明神(鳴瀧大明神)と呼ばれていた。南龍城主山名氏、垣谷氏ともに当社を崇敬し、例祭には幣帛を捧げたと伝わる。

長い間御祭神は大国主命と考えられてきたが、周辺の同名及び関連神社と同様、素盞嗚尊と考えられている。

鳴滝大明神兵主神社とも呼ばれた。幕末の安政2年(1855年)、本殿が再建され、明治2年(1869年)には現社号に復した。明治45年(1912年)7月、本殿を建立した。

御祭神は現在、一応は素盞嗚尊・大己貴命の2柱とされる。例祭は10月10日。境内の右手に、西向きに境内社が鎮座する。

手前の大きな社殿が八幡社、奥の赤い社殿が稲荷社。八幡社は昔、もと官有地に鎮座していたが、その地が払い下げられた時に、当社に遷座したという。

現在も当社境内入口には「八幡神社」の社号標が建つ。他に厳島社、粟嶋神社、石龍神社などの境内外社がある。

久斗には、巨石の中に住む小蛇の伝説があり、それを石龍と呼ぶ。この石龍を祀った祠が石龍神社だと考えられている。

鳥居を入って左右に1本ずつ、大ケヤキがある。左側の方が太く、幹周4.85メートルとされるが、実際は6メートル以上あるとも。

樹高は30メートル。「久斗兵主神社のケヤキ」として、市の天然記念物に指定されている。「久刀寸」を行政がどうとらえているのかを示すものとして興味深い。

【ご利益】
厄災除け、武運長久・勝運
久刀寸兵主神社 兵庫県豊岡市日高町久斗
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