玄武洞の近く、2月上旬「千本もちつき」、昔話「潮垣」
兵主神社 兵庫県豊岡市赤石1861-3
[住所]兵庫県豊岡市赤石1861-3
[電話]0796-22-4267 - 金刀比羅神社

兵主神社(ひょうずじんじゃ)は、兵庫県豊岡市赤石にある神社。県道548号線、玄武洞公園の近く。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「兵主神社(但馬国・城崎郡)」に比定される式内社(小社)。兵主神社の一つ。近代社格では村社。

兵庫県神社庁には、武内兵主神社と登録されている。それを参照している別のサイトでも武内兵主神社と記載されている。

しかし、「武内(たけうち)」は、地名その他をみても不明であり、よくある「式内」の誤記だと考えられる。ただし、神社庁にその誤記がそのまま登録されているのは稀。

創祀年代は不詳。伝承によれば、飛鳥時代の白鳳12年(672年/683年)閏4月、韓国連久々比が兵馬や武器の庫である当地の兵庫の守護として、赤石の丘に祀ったという。

御祭神は速須佐之男命。ただし、当社本殿を納めた覆屋の扁額には、「兵主神社住吉大明神」とあり、住吉三神も配祀されていると思われる。

例祭は10月17日。2月第2日曜日には地元の氏子たちによる「千本もちつき」が行われる。1回に4斗を蒸すことができる大きな蒸し桶でもち米を蒸しあげる。

午前10時ごろから、五穀豊穣・無病息災・家内安全などを祈願しながら、4人のつき手が順序良く「ホイ、ホイ」と気を合わせて、棒状の杵を使ってつきあげる。

もちつきに先立って、氏子たちにより、お堂の周りを回って、千本のお札を納める「おせんどさん」とよばれるお参りがある。

つきあがったもちは、あんもちにして神前に供え、11時ごろから神事が行われる。神事が終われば、あんもちを各家庭に持ち帰って、家族みんな頂く。

江戸時代中期の寛政5年(1793年)、当社再建の棟札に「八五郎 餅米壱俵」の記載があり、この頃からすでに行われていたと考えられている。

「千本もちつき」は、建物や堤の工事などの時の「土がため」の様子を表しているとも言われる。当社には「潮垣(しおがき)」の話が伝わっている。

当社の参道横には、「赤石」という地名のもとになったといわれる「赤い石」がみられる。参道左に境内社がある。大将軍社ともされるが、「潮垣」の若宮神社だろうか。

玄武洞は160万年前に起こった火山活動によって、山頂から流れ出したマグマが冷えて固まる時に、規則正しいきれいな割れ目を作り出したもの。

6000年前、波に洗われて姿を現し、人が石を取ったために洞となったもので、数知れない六角形の玄武岩が積み上げられて不思議な美しさを見せている。

玄武洞は国の天然記念物に指定され、毎年6月下旬に催される「あじさいまつり」では、満開のあじさいを眺めながら公園内を散策でき、各種イベントも行われる。

なお、但馬国城崎郡には式内社「兵主神社二座」が別にある。当社の南3.7キロほどの山本にある当社と同名の神社に比定されている。

潮垣(しおがき)
近年まで、円山川に近い当地、深い沼地の田であり、現在のように土地改良がされるまで、腰まで泥につかりながら、「田舟」を使いながら苦労して稲作をしていた。

その頃の昔のお話。毎年、夏になり日照りが続くと、円山川から海の塩水が上がってきて、田畑が枯れてしまい、農民はみな困っていた。

ある日、どこからかやってきたお侍が、村人の難儀を見かね、海水を防ぐ堤防「潮垣」を作るよう知恵を授けた。

しかし、農民たちは生活に余裕もなく、ましてや資金もないので、誰もこの途方もない話に乗らなかった。

そこでお侍は、「工事にかかる金は知り合いが助けてくれることになったので、心配はいらない」と村人を説得し、工事に取り掛かった。

完成間近になって村人がお金の心配をすると、お侍は「もうすぐ金は来る」と言って、かまわず工事を進めさせた。

立派な堤防が完成したので、村人がもう一度催促すると、お侍は「あれはウソだ」と切り出した。

「こう言わないと誰も取り掛からないので、悪いが皆をだまして工事をさせた」と言うなり、いきなり腹を切って自害した。

村人たちはびっくりしたが、立派な「潮垣」のおかげで、今まで毎年悩まされていた塩水の心配がなくなり、米もたくさん取れるようになった。

村人たちは、誰とも知れないお侍に感謝し、その霊を弔うため、当社の境内に若宮神社を建て、毎年供養するようになったという。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、地域安全、無病息災
兵主神社 兵庫県豊岡市赤石
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