与保呂川沿い、悲恋と治水への願いによる大蛇鎮魂の社
蛇切岩伝説(じゃきりいわでんせつ)は、京都府舞鶴市の東南部で語り継がれている大蛇伝説である。恋を遂げられなかった娘が大蛇に化け、村人総出で退治され、岩に激突して三つに切り裂かれた、というもの(詳細)。
与保呂川沿い。激突した岩が蛇切岩、三つに切り裂かれた頭部・胴体・尻尾をそれぞれ祀った神社が、実在する。
与保呂川による豊富な水源によって、藩内一の米どころだったが、同時に与保呂川は暴れ川で、治水は悲願でもあった。
その中で、おそらくは実際にあった妹の嫉妬が絡んだ悲恋と結び付き、治水のための、隣村同士の団結のために定着したのが、この伝説ではなかろうか。
民話の起源は平安時代ともされ、川のもたらす恐怖(洪水)と恩恵(農作物)に対する畏敬の念が、この民話に込められている。
また物語は古代の文明の道を示し、仏教の影響も見られ、いろいろな時代の影を残す貴重な民話であるという。
現在、特別にスタンプラリーなどは行われていないようだが、これを題材とした地域活性の取り組みも行われている。
式内社(論社)の古社も二社も含まれており、伝説に思いをはせながら各社を巡るのも一興だと思われる。
[概要]大蛇を切り裂いた蛇切岩
[住所]舞鶴市与保呂
[電話]-
[概要]大蛇の頭部を奉斎(式内)
[住所]舞鶴市与保呂
[電話]-
[概要]大蛇の胴体を奉斎
[住所]舞鶴市八反田南町
[電話]-
[概要]大蛇の尻尾を奉斎(式内)
[住所]舞鶴市森872
[電話]-
この姉妹は、18歳の姉のおまつ、15歳の妹のおしもと言いました。働き者の2人は多門院から与保呂へと毎日のように草刈りに出かけ、池のほとりで一服します。
ある日、一服している時に出会った美しい顔立ちの若衆におまつはひとめ惚れ。何時も姉妹2人で出かけていましたが、ソレからはおまつは1人で出かけては若者と池のほとりで話をするようになりました。
そしておまつと若衆の2人は結婚の約束をするまでになりました。しかし、その時にはすでに、父親が決めた縁談の話がおまつにありました。
ここのところ、いつも1人で出かけていたおまつでしたが、久しぶりに妹のおしもと一緒に出かけた時、池のほとりでサッと身を隠す若衆を見たおしもはすべてを察しました。
「妹に知られてしまっては家には帰れない」。そういっておまつは妹だけを家に帰そうとしますがおしもは帰りません。
姉妹で着物の袖を引っ張り合っている時に、おまつが池にザブーンと落ちてしまいました。
その途端、晴れていた空が曇りだし、カミナリとともにすごい雨が降り出しました。そして静かだった池には波が立ち始め、水面が盛り上がったと思った瞬間、大蛇が姿をあらわしました。
大蛇はおしもを少しの間見つめた後、姿を消してしまいました。おしもはいまの出来事に驚き、急いで家に帰って一部始終を父親に報告、驚いた父親は池まで駆けつけておまつのお名前を呼び続け、探しました。
その時、再び池の水面が盛り上がり、大蛇が姿をあらわしました。大蛇は悲しそうな目をして父親を見つめていましたが、再び姿を消してしまいました。
それから何日かたった頃、与保呂の村が大蛇によって次々と被害を受けるという噂が広まり、与保呂の村では大蛇の退治をすることに決めました。
モグサを牛の形に堅めて大蛇に食べさせれば良いという村の若者が考えた方法で、モグサの一部に火を付け、池に投げ込みました。
大蛇は本物の牛だと勘違いをして食べてしまいましたが、お腹の中でモグサが燃え続けるものですから、苦しんで暴れます。
その時、空は急に曇って大雨が降りだし、池の水は増えて、川へと洪水のように溢れ出しました。
苦しみもがいていた大蛇も、池から溢れ出た洪水に流され、大きな岩に体をぶつけた時に、大蛇の体が頭部・胴体・尻尾の三つに切り裂かれてしまいました。
その岩が蛇切岩(じゃきりいわ)です。その様子を見ていた村の人々は、おまつの化身である大蛇の祟りを恐れ、頭部・胴体・尻尾を三つの神社に分けて祀ることにしたそうです。
現在も、この三つの神社では、おまつの因縁なのか、松の木は一本も育たないということです。
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 京都の神社めぐり
与保呂川沿い。激突した岩が蛇切岩、三つに切り裂かれた頭部・胴体・尻尾をそれぞれ祀った神社が、実在する。
与保呂川による豊富な水源によって、藩内一の米どころだったが、同時に与保呂川は暴れ川で、治水は悲願でもあった。
その中で、おそらくは実際にあった妹の嫉妬が絡んだ悲恋と結び付き、治水のための、隣村同士の団結のために定着したのが、この伝説ではなかろうか。
民話の起源は平安時代ともされ、川のもたらす恐怖(洪水)と恩恵(農作物)に対する畏敬の念が、この民話に込められている。
また物語は古代の文明の道を示し、仏教の影響も見られ、いろいろな時代の影を残す貴重な民話であるという。
現在、特別にスタンプラリーなどは行われていないようだが、これを題材とした地域活性の取り組みも行われている。
式内社(論社)の古社も二社も含まれており、伝説に思いをはせながら各社を巡るのも一興だと思われる。
蛇切神社
[概要]大蛇を切り裂いた蛇切岩
[住所]舞鶴市与保呂
[電話]-
日尾池姫神社
[概要]大蛇の頭部を奉斎(式内)
[住所]舞鶴市与保呂
[電話]-
堂田神社
[概要]大蛇の胴体を奉斎
[住所]舞鶴市八反田南町
[電話]-
彌加宜神社(大森神社)
[概要]大蛇の尻尾を奉斎(式内)
[住所]舞鶴市森872
[電話]-
蛇切岩伝説
むかしむかしのお話。祖母谷通りを奥に入った所にある多門院黒部という所に、美しい姉妹が住んでいました。この姉妹は、18歳の姉のおまつ、15歳の妹のおしもと言いました。働き者の2人は多門院から与保呂へと毎日のように草刈りに出かけ、池のほとりで一服します。
ある日、一服している時に出会った美しい顔立ちの若衆におまつはひとめ惚れ。何時も姉妹2人で出かけていましたが、ソレからはおまつは1人で出かけては若者と池のほとりで話をするようになりました。
そしておまつと若衆の2人は結婚の約束をするまでになりました。しかし、その時にはすでに、父親が決めた縁談の話がおまつにありました。
ここのところ、いつも1人で出かけていたおまつでしたが、久しぶりに妹のおしもと一緒に出かけた時、池のほとりでサッと身を隠す若衆を見たおしもはすべてを察しました。
「妹に知られてしまっては家には帰れない」。そういっておまつは妹だけを家に帰そうとしますがおしもは帰りません。
姉妹で着物の袖を引っ張り合っている時に、おまつが池にザブーンと落ちてしまいました。
その途端、晴れていた空が曇りだし、カミナリとともにすごい雨が降り出しました。そして静かだった池には波が立ち始め、水面が盛り上がったと思った瞬間、大蛇が姿をあらわしました。
大蛇はおしもを少しの間見つめた後、姿を消してしまいました。おしもはいまの出来事に驚き、急いで家に帰って一部始終を父親に報告、驚いた父親は池まで駆けつけておまつのお名前を呼び続け、探しました。
その時、再び池の水面が盛り上がり、大蛇が姿をあらわしました。大蛇は悲しそうな目をして父親を見つめていましたが、再び姿を消してしまいました。
それから何日かたった頃、与保呂の村が大蛇によって次々と被害を受けるという噂が広まり、与保呂の村では大蛇の退治をすることに決めました。
モグサを牛の形に堅めて大蛇に食べさせれば良いという村の若者が考えた方法で、モグサの一部に火を付け、池に投げ込みました。
大蛇は本物の牛だと勘違いをして食べてしまいましたが、お腹の中でモグサが燃え続けるものですから、苦しんで暴れます。
その時、空は急に曇って大雨が降りだし、池の水は増えて、川へと洪水のように溢れ出しました。
苦しみもがいていた大蛇も、池から溢れ出た洪水に流され、大きな岩に体をぶつけた時に、大蛇の体が頭部・胴体・尻尾の三つに切り裂かれてしまいました。
その岩が蛇切岩(じゃきりいわ)です。その様子を見ていた村の人々は、おまつの化身である大蛇の祟りを恐れ、頭部・胴体・尻尾を三つの神社に分けて祀ることにしたそうです。
現在も、この三つの神社では、おまつの因縁なのか、松の木は一本も育たないということです。
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