二所大明神とも、古くから疫神送りに霊験あらたかな氏神
[住所]鳥取県鳥取市福部町海士597
[電話]0857-75-2275

服部神社(はっとりじんじゃ)は、鳥取県鳥取市福部町海士にある神社。山陰本線の福部駅の西。県道212号線から海士交差点を西進。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「服部神社(因幡国・法美郡)」に比定される式内社(小社)。創祀年代は不詳。

『続日本紀』和銅5年(721年)7月に「始織綾錦」とある。平安時代前期の貞観16年(874年)5月、従五位上に進んだ。

承徳3年(1099年)、平時範が因幡国の国守として下向し、参拝したというが、以降は衰微したようだ。

もとは現在地の南約800メートル、川向うの小字御内谷と称する谷隘に鎮座していたが、江戸時代前期の寛永13年(1636年)、現在地に遷座したという。

現存する最も古い棟札は、幕末の弘化2年(1845年)のもの。「服部大明神」とある。厳島大明神(弁才天)が末社で祀られていたようだ。

厳島大明神の痕跡はすでになく、合祀されているとされる。近世を通じて、二所大明神・二所八幡宮などとも呼ばれたという。

明治元年(1868年)、現社号に改称、明治3年(1870年)11月には幣殿と拝殿を建立した。明治4年(1871年)9月、玉殿(本殿)を再建した。

明治29年(1896年)7月、神饌殿が建立され、明治41年(1908年)11月19日、神饌幣帛料供進社に指定された。

大正12年(1923年)5月8日、蒲野部村大字服部字阿弥陀寺鎮座の無格社小河原神社(素盞嗚尊)を合祀した。

昭和18年(1943年)9月10日に発生した鳥取大震災で、当社も被災、幣殿・拝殿が倒壊したが、昭和22年(1947年)5月に再建された。

昭和57年(1982年)4月、本殿の大屋根を銅板で葺き替え、回廊などが修理された。昭和60年(1985年)4月、石造の明神鳥居が建立された。

平成元年(1989年)5月、境内地東側を拡張・埋立、平成5年(1993年)10月には幣殿・拝殿がともに瓦葺きで総改築された。

御祭神は不詳とされるが、社号から考えて、天羽槌雄命・天棚機姫命とされる場合がある。例祭は4月19日に近い日曜日。秋祭が9月9日にある。

古くから疫神送りに霊験あらたかとされ、氏子はもとより、近在の人々の信仰を集めた。現在も当地の氏神として崇敬されている。

拝殿の前には、明治41年(1908年)建立の出雲丹後狛犬一対がある。境内社に稲荷社(保食神。別名は倉稲魂神。例祭は旧暦2月初午日の初午祭)がある。

また、遥拝所がある。伊勢の神宮(伊勢神宮)と、当社が合祀した小河原神社を遥拝する。遥拝所には旧鳥居が使用されている。

【ご利益】
五穀豊穣、学業・受験合格、縁結び、商売繁盛
服部神社 鳥取県鳥取市福部町海士
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