早牛川の祓いの神「大森大明神」、貴重な幕末の自噴式狛犬付き手水鉢
[住所]鳥取県鳥取市青谷町早牛322
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利川神社(はやかわじんじゃ)は、鳥取県鳥取市青谷町早牛にある神社。山陰本線の青谷駅の南、県道280号線の近く。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「利川神社(因幡国・気多郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。「利川」の読み方には「としかわ」と「はやかわ」の二説があり、現在は「はやかわ」が定着しているようだ。

社前の早牛川も、通称は利川(はやかわ)だが、本来は速瀬だったという。これが「はやせ」→「はやうせ」→「はやうし」と変化した、とも。

御祭神は、速開津比咩命速佐須良比咩命・瀬織津比咩命。利川の祓いの神とされるが、大森大明神とも称したといい、水と森の神とも考えられるか。

江戸時代前期の寛文7年(1667年)6月11日、因幡鳥取藩主池田光仲が社領として5石を寄進したという。元禄12年(1699年)には釣鐘を新鋳した。

江戸時代中期の享保10年(1725年)、台風により被害を受けたため、末社の荒神の森へ移転、造営。これが現在地となるか。もとは字中瀬に鎮座したとも。

現在地の東300メートルには船山があり、これが字中瀬の地ともされる。安永10年(1781年)、豊磐間戸命・櫛磐間戸命の像が再興されたという。

明治5年(1872年)、郷社に列した。大正6年(1917年)、字西村鎮座の無格社山根神社(素盞雄命)と境内社稲生社(保食神)を合祀した。

山根・早牛部落の氏神。社頭には、早牛川に架かる神社橋があり、それを越えると参道となって石段を上る。明神鳥居があり、社号標には「式内郷社 利川神社」とある。

幕末の安政6年(1859年)9月に奉納された狛犬付き手水鉢がある。蓮の花型をした手水鉢に狛犬が乗っている。名石工・川六の作。

おそらく、金沢兼六園にある自噴の噴水のように、水源地との自然の高低差を生かした逆サイフォンの原理を応用したものと考えられている。

現在でも狛犬の口から水が出ている手水は希少だが、幕末のこの時期の作のものは、当社以外では、長崎諏訪神社の2例しか確認できない、という。

時代を抜きにしても、石造のものだと、奈良市の手向山八幡宮、川崎市麻生区の高石神社、所沢市の中氷川神社にしかない、とも。

また、拝殿の前にも天保6年(1835年)奉納の出雲構え獅子の狛犬一対がある。拝殿や本殿の木鼻にも狛犬が彫られている。本殿の目貫には龍の、木鼻には象の彫刻もある。

社殿向かって左手に境内社一宇があり、それも含めて、社殿の左側は岩になっている。大雨でも降れば今にも崩れそうな岩の麓に、社殿があることになる。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、地域安全
利川神社 鳥取県鳥取市青谷町早牛
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