久努国造を奉斎、七つの塚の伝承、賀茂社を勧請、スダジイの巨樹
七ツ森神社 静岡県袋井市国本2568
[住所]静岡県袋井市国本2568
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七ツ森神社(ななつもりじんじゃ)は、静岡県袋井市国本にある神社。市役所の東、東海道沿い。ただし、表参道は向かい側。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「郡邊神社/郡辺神社(遠江国・山名郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

大化の改新(645年)の前、当地は久努国があり、印幡足尼が国造として統治していた。国造は代々、久努に居住した。

そこで、国造の遺霊を郡辺村に祀ったのが当社の起源だという。御祭神は、久努国造・大己貴命。社名の七ツ森は、田圃の真ん中に残る七つの塚が由来。

この七つの塚は、第50代桓武天皇の頃、日坂宿に出没していた怪鳥を退治するため、朝廷から派遣された七人の武士がいた。

しかし、結局はその怪鳥を退治できず、さらに返り討ちに遭い、全員落命。哀れんだ村民が墓を造り、葬ったのが起源だという。

ただ、実際はこれらの塚は古墳時代のもので、当社の草創やその後の代々の国造か、それに関係した人の墓とも考えられている。

平安時代、『延喜式』直前の延喜15年(915年)、山城国賀茂大明神を勧請、現在に至るまで相殿に賀茂神社(玉依姫命・別雷命)として祀られている。

以来、社名は久努神社、賀茂神社などと呼ばれた。江戸時代になると、徳川将軍家から高7石の朱印地が下賜された。

尾張藩藩士の高力猿猴庵が天明6年(1786年)に、東海道を自ら旅して記した『東街便覧図略』に七つの塚、その最大のものに当社が鎮座している様子を描いている。

後世、当社は原野谷川の大洪水により、宝物・古文書など全てを流失。社は高部村に漂着し、村人により厚く祀られ、明治34年(1901年)、渋垂神社に合祀された。

明治6年(1873年)、村社に列した。明治7年(1874年)、字森廻から七ッ森稲荷社(倉稲魂命)が、広岡田所から大日神社(天穂日命)が遷座し、当社境内社になった。

明治8年(1875年)、北側のひよどり山の地にあった久津部村廻森の八幡神社を合祀。クツべとグンベと似ていることで、この八幡神社が式内論社ともされる。

平成5年(1993年)3月、放火により社殿が焼失したが、同年10月には再建された。例祭は10月第2土曜日。

境内末社に、神明神社(天照大神)、白山神社(菊理姫命)、天白神社(猿田彦命)、夷神社(姪児命)、金刀比羅神社(金山彦命)がある。

境内には、幹周9メートル、樹高14メートルのスダジイがある。根元からすぐに5-6本に枝分かれしており、北側には支幹が腐朽して空洞になった部分がある。

なお、式内社「郡辺神社」の論社は他に、同じ国本の冨士浅間宮、市内高尾の赤尾渋垂郡辺神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、厄災除け、安産
七ツ森神社 静岡県袋井市国本
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