飛鳥朝末期にお告げで熊野権現を勧請、家康・信玄ゆかり
許禰神社 静岡県袋井市木原282
[住所]静岡県袋井市木原282
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許禰神社(こねじんじゃ)は、静岡県袋井市木原にある神社。太田川東岸、原野谷川西岸。市役所から県道413号線を西進。参拝すれば、書き置きの御朱印が頂ける。

『延喜式神名帳』にある「許祢神社(遠江国・山名郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

飛鳥時代末期の大宝2年(702年)、熊野権現を勧請したと伝わる。御祭神は、伊弉諾命・速玉男命・事解男命。

『木原権現由来記』によれば、ある日、木原の子供に熊野の神が乗り移り、この地に熊野の神を祭れば、洪水を防ぎ、穀物の実りを豊かにするというお告げがあった。

天災に苦しんでいた村人は、早速に熊野の神を祀った。これが当社の起源であり、その後、木原権現社、熊野権現とも呼ばれるようになった。

平安時代の永保2年(1082年)、社殿の造営の記録が残る。戦国時代の天文23年(1554年)、今川義元が所領を安堵したという。

続けて、永禄4年(1561年)、今川氏真が所領を安堵。東海道のど真ん中としても有名な地で、当社には徳川家康の腰掛けの石も残る。

安土桃山時代の元亀3年(1572年)、鷲巣の久野城を攻めた武田信玄は、浜松城を守る徳川家康と対陣し、当地に陣を張った。

三方原の戦いの前哨戦として小競り合いが行われたが、当地はいわゆる木原畷古戦場。当社境内に古戦場の碑が建っている。

慶長7年(1602年)、徳川家康が高70石の朱印を寄進、これが朱印地として明治まで続くことになる。慶長10年(1605年)、神殿を造営した。

幕末の慶応4年(1868年)、現社名に改称、明治6年(1873年)に郷社に列した。明治44年(1911年)、神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は10月第2土曜日。境内の池の島に、厳島神社(弁天様。市杵島姫命)が祀られている。御神木は楠(クスノキ)。

このクスノキは、幹周7.4メートル、樹高15メートル。幹下部が大きくふくらんでいるのが特徴。

境内社に、八幡神社・須賀神社、稲荷社、八面神社・菩比神社・天白神社・社森神社・白山神社・天満宮・神明宮・熱田神社・居森神社・住吉神社・稲荷神社・國守神社がある。

なお、式内社「許禰神社」の論社は他に、森町三倉に当社および式内同名だが、読みが違う神社がある。

【ご利益】
地域安全、厄災除け、家内安全、武運長久・勝運
許禰神社 静岡県袋井市木原
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