奈良期、開拓された不毛の地の守護神、藪田明神、額7ヶ村の総社
[住所]石川県金沢市額乙丸町イ-31-1
[電話]076-248-0826 - 林郷八幡神社

額西神社(ぬかにしじんじゃ)は、石川県金沢市額乙丸町にある神社。北鉄石川線の乙丸駅の東。額小学校の近く。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「額西神社(加賀国・石川郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

奈良時代の神護景雲2年(768年)の創立と伝えられる。往古、藪田明神(薮田明神)と称された。このことは『加賀国式内等旧社記』にも見える。

もとはその藪田の地に鎮座したという。遷座の時期や理由は不明。ただし、現在地に鎮座後もやはり藪田明神と呼ばれていたらしい。

やはり式内社の額東神社が至近にある。もともと額は不毛の地だったといい、墾田を通じて田地として開発された。

以後、当社を含む額の東西社は、この開発された額地方の守護神として東・西に鎮祭されたと考えられている。

額東神社の御祭神が伊邪那岐命であるのに対して、当社の御祭神は伊邪那美命。ちなみに、北鉄石川線を南下すると、2柱とも縁深い加賀国一宮白山比咩神社に続く。

どちらにしろ、両社とも額地方の守護神として著名になり、往昔、当社地も広大で、3000歩もあったとも伝わる。

額東神社とともに、大額・額谷・額乙丸・額新保・額三十苅・ 額助九・額栗林の額7ヶ村の総社として崇敬された。

朝廷、武将の崇敬も厚く、特に守護富樫家の尊崇が深かったことは『宝永地誌』にも記されている。

江戸時代にはやはり額東神社とともに富山派の山伏である宝高寺が奉仕し、明治まで当社では、十一面観世音を奉祀していたという。

明治初年(1868年)には無格社だったが、明治18年(1885年)、村社に昇格した。しかし、明治33年(1900年)9月17日、火災により本殿・拝殿が炎上した。

昭和15年(1940年)8月27日、神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は10月17日で秋季例祭。境内には石祠一宇や、盤持石がある。

【ご利益】
地域安全、家内安全、夫婦和合、安産
額西神社 石川県金沢市額乙丸町
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