信露貴彦神社に対する女宮、5月4日に沓見御田植祭、スギの巨樹
久豆彌神社 福井県敦賀市沓見75-8
[住所]福井県敦賀市沓見75-8
[電話]-

久豆彌神社(くつみじんじゃ)は、福井県敦賀市沓見にある神社。敦賀半島の付け根中央、市総合運動場の西、沓見小学校の近く。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「久豆弥神社(越前国・敦賀郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。敦賀市西部、標高318メートルの旗護山の東麓。周囲には多数の古墳が存在し、古代から存在していたと考えられている。

久豆彌は現在の沓見の語源であろう。奈良時代の和銅6年(713年)「和銅官命」と関連するか。もとは現在地より東北約1キロ、字父ヶ花地籍に鎮座した。

古くは、山王権現、山王十禅師権現とも呼ばれていたという。日吉大社で「十禅師社」と呼ばれているのは、樹下神社(鴨玉依姫神)だが、当社と同じく女神。

当社は、女神(木花咲耶姫命)を祀るため、同じ沓見にある信露貴彦神社が男ノ宮と呼ばれるのに対して、女ノ宮とも呼ばれている。

時期は不明だが、当社は現在地に遷座、信露貴彦神社は現在より南の位置にあったが、今の位置に遷座。当社は北から南へ、信露貴彦神社は南から北へ。

およそ真逆に鎮座地を変更したため、当社の氏子地域は信露貴彦神社の氏地から当社氏地へ、信露貴彦神社の氏子地域は当社の氏地から信露貴彦神社の氏地へ変更された。

江戸時代中期の元禄14年(1701年)4月、藩主酒井備後守忠朝より寄進があったという。また、幕末の慶応4年(1868年)6月2日、青蓮院宮家が菊花御紋章提燈二対を奉納した。

御祭神は、木花咲耶姫命・瓊瓊杵命大山咋命。明治7年(1874年)12月、村社に列した。大正元年(1912年)8月26日、神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は5月5日。信露貴彦神社と合同のお田植え祭りである。沓見御田植祭とも。王の舞・獅子舞・田植え歌・えぶり差し・苗打ちなどの芸能が行われる。

いわゆる若狭の王の舞群の一つ。5月4日は宵宮で、オハケタテ、御幣タテなどを奉納し、5月5日正午、当家の発声、御幣さしの出発を受け祭が始まる。

男宮さんと呼ばれる信露貴彦神社は、公会堂から信露貴彦神社へ行列し、芸能が披露される。その後、当社に移動する。

女宮さんと呼ばれる当社で合流した後、当社と信露貴彦神社でそれぞれ芸能が披露される。その後、両社が信露貴彦神社に移動する。

信露貴彦神社に到着後、信露貴彦神社で両社による芸能が披露される。その後両社は馬場へ出発、馬場で御幣を併せる。

両社は、御幣をもって「来年もトーヤ~、再来年もトーヤ~」と声を上げながら、それぞれの神社に帰っていく。

当社の境内社に、常宮神社・猿田彦神社・神明社・松岡社がある。本殿前に大正8年(1919年)12月建立の滋賀県型狛犬がある。

参道石段の脇にスギの巨樹がある。樹高31メートル、目通り幹囲5.3メートル、推定樹齢300年。市の天然記念物に指定されている。

なお、境内には他に、スダジイの巨木なども見られる。なお、伊豆国田方郡にも同名の式内社がある。伊東市の葛見神社と熱海市の湯前神社が論社。

【ご利益】
安産、火防、地域安全、夫婦和合、家内安全
久豆彌神社 福井県敦賀市沓見
【関連記事】
若狭の王の舞群 - 若狭の浦々に続く鯖街道、伝統を守る集落の祭り「王の舞」
福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧