久豆彌神社に対する男宮、宮司家は新羅国王族の末裔、5月王の舞
信露貴彦神社 福井県敦賀市沓見62-12
[住所]福井県敦賀市沓見62-12
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信露貴彦神社(しろきひこじんじゃ)は、福井県敦賀市沓見にある神社。敦賀半島の付け根中央、市総合運動場の西、沓見小学校の近く。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「信露貴彦神社(越前国・敦賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創建は第33代推古天皇10年(602年)と伝えられている。もとは沓見区の南端の字神所、下ノ森地籍に鎮座していたという。

『今庄町誌』によれば、「宮司の龍頭家は系譜に新羅国王族の末裔」だという。敦賀半島の北端にある白城神社も同系の氏族が祀ったものとされ、関連が指摘されている。

地元の人々は、同じ沓見区に鎮座する、やはり式内社の久豆彌神社を女ノ宮と呼ぶのに対して、当社を男ノ宮と称して崇敬している。

時期は不明だが、当社は現在地に遷座、久豆彌神社は現在より東北の位置にあったが、今の位置に遷座。当社は南から北へ、久豆彌神社は北から南へ。

およそ真逆に鎮座地を変更したため、当社の氏子地域は久豆彌神社の氏地から当社氏地へ、久豆彌神社の氏子地域は当社の氏地から久豆彌神社の氏地へ変更されたことになる。

平安時代前期の斉衡3年(856年)9月、従五位下に進んだ。江戸時代には「白木大明神」「白木彦明神」と称していた。

明治7年(1874年)12月、村社に列した。御祭神は、迩迩藝命日本武尊。例祭は5月5日。久豆彌神社と合同のお田植え祭りである。

沓見御田植祭とも。王の舞・獅子舞・田植え歌・えぶり差し・苗打ちなどの芸能が行われる。いわゆる若狭の王の舞群の一つ。

5月4日は宵宮で、オハケタテ、御幣タテなどを奉納し、5月5日正午、当家の発声、御幣さしの出発を受け祭が始まる。

男宮さんと呼ばれる当社は、公会堂から当社へ行列し、芸能が披露される。その後、久豆彌神社に移動する。

女宮さんと呼ばれる久豆彌神社で合流した後、当社と久豆彌神社でそれぞれ芸能が披露される。その後、両社が当社に移動する。

当社に到着後、当社で両社による芸能が披露される。その後両社は馬場へ出発、馬場で御幣を併せる。

両社は、御幣をもって「来年もトーヤ~、再来年もトーヤ~」と声を上げながら、それぞれの神社に帰っていく。

当社の境内社に、神明社・山神社・金刀比良神社がある。なお、式内社「信露貴彦神社」の論社は他に、南越前町今庄の新羅神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、五穀豊穣
信露貴彦神社 福井県敦賀市沓見
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