天孫の妃が三皇子を生み、生育した地、古くから子に関する地名譚
童子丸神社 宮崎県西都市童子丸583
[住所]宮崎県西都市童子丸583
[電話]0983-43-3063

童子丸神社(どうじまるじんじゃ)は、宮崎県西都市童子丸にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

一ツ瀬川西岸、国道219号線の米良街道、西都原古墳群の東。当社のすぐ西には石貫神社がある。

天孫天津彦穂瓊々杵命が笠狭崎に行幸した際、大山祇命の二女である木花咲耶媛命を皇妃と定め、三皇子を生んだ。

当地は三皇子を生育した地だという。そのため、古くから童子丸と呼ばれた。当社より南600メートルの所に、降誕の遺跡がある。

いわゆる無戸室(うつむろ)で、木花咲耶媛がお産をした時、身の証しを立てるため、四方を塗りふさいだ戸のない室で、しかも部屋に火を放ってお産に臨んだ。

そのかたわらに児湯の池があり、三皇子が産湯を使った池だといわれ、日本最初の産婆の神、袷縞様・青島様が祀られている。

『古事記』に「笠紗之御前」、『日本書紀』に「笠狹之碕」とある、瓊々杵命の降臨地について、諸説ある。

降臨地は宮崎県、鹿児島県などいくつか候補があるが、「笠紗」「笠狹」の地名はすでに失われて久しく、特定できないという。

近代に鹿児島県で笠沙村・笠沙町が生まれたが、これは付会とされる。しかし、宮崎県のこの西都原古墳群近くには「笠紗之御前」伝承を伝える神社が複数ある。当社もその一つ。

第12代景行天皇の頃から当地を子湯の県といい、郡名もこの地より起こったといい伝えられる。

御祭神は、火蘭命天津彦火火出見尊火明命の三皇子。そのため三ノ宮とも。飛鳥時代の白鳳2年(674年)、大己貴命少彦名命二柱の神を相殿に合祀した。

棟札によれば、江戸時代前期の寛永4年(1627年)9月、当地領主の藤原朝臣弘純により再興された。

その後、寛永7年(1667年)から江戸時代後期の嘉永6年(1853年)までの間に7度再興されている。

明治初年(1868年)までは山王権現と称したが、明治4年(1871年)、現社号に改称した。扁額には葦原社とある。

現在までに、宇賀魂命保食命も併せて祀る。例祭は11月3日。

【ご利益】
子宝、安産、子育て、病気平癒
童子丸神社 宮崎県西都市童子丸
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