天武天皇が戦勝祈願、平安以降の再建記録、5月に「おためし」神事
射穂神社 愛知県豊田市保見町北山26
[住所]愛知県豊田市保見町北山26
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射穂神社(いぼじんじゃ)は、愛知県豊田市保見町北山にある神社。境内地であるの真下を愛知環状鉄道が貫通、その保見駅の北西。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 賀茂郡「射穂神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

社伝によれば、白鳳元年(672年)9月の創建。第40代天武天皇が、壬申の乱に際して、大友皇子の討伐を祈願したという。

高橋庄伊保郷の地で、奈良時代の和銅6年(713年)、村名は射穂とも、伊穂とも書き、後に伊保村、御獄市場を合併して上伊保となった。

平安時代の永承7年(1052年)、上伊保村領主の松平左兵衛尉定勝により社殿が建立され、再建された。

もとの鎮座地は池之坊洞で、その後、御獄山頂に移し、また三祖山に移した。これが現在の北山である。

戦国時代に焼失したものの、永正7年(1510年)、松平右兵衛佐により社殿が建立され、再建された。

射保(いほ)、あるいは伊保天神などとも呼ばれたが、『和漢三才図会』にも「蔵王大権現」とあり、江戸時代中期の享保年間(1716年-1736年)に蔵王宮と改称。

明治になり、現社号に復した。御祭神は、中央が廣國押武金日尊(第27代安閑天皇)、左相殿が皇后の春日山田皇女、右相殿が妹の神前皇女

明治5年(1872年)8月、郷社に列した。明治43年(1910年)、末社八幡宮、八柱神社、秋葉神社、津島神社、武稲神社、神明社、伊豆社、御鍬社を合祀した。

昭和18年(1943年)8月、県社昇格の申請を行い、昇格内定を得たが、終戦を迎え、近代社格は終焉した。昭和40年(1965年)3月、現在の本殿が再建された。

例祭はもとは旧暦9月10日だったが、明治から新暦の10月15日に改め、現在は10月第2日曜日。例祭には奉納献馬棒ノ手、空砲などの行事があった。

特殊神事として、鎮火祭、御粥占豊年祭がある。豊年祭は5月に行われ、いわゆる「おためし」。

「おためし」は、農作物の豊凶を占うもので、飾り付けは、右の間(田所)と左の間(畠所)に分かれる。

それぞれ正面の高い所に3柱の神がその年の気候を占い、白、赤、青色の法衣を着分けて農民に知らせる。

白の法衣の神が多ければ風が吹き、赤い法衣の神が多ければ日照り、青い法衣の神が多ければ雨を降らすといわれている。

また右の間は、水田における作物の豊凶を、左の間は、陸田における作物の豊凶を占う神事だという。

1月には左儀長祭がある。参道には神馬像がある。宝物として、伊保郷印・仏像・鏡がある。

【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、家内安全
射穂神社 愛知県豊田市保見町北山
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