成務朝の創祀、天武天皇の伝承、賀茂社の末社、社前に大イチョウ
静原神社 京都府京都市左京区静市静原町215
[住所]京都府京都市左京区静市静原町215
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静原神社(しずはらじんじゃ)は、京都府京都市左京区静市静原町にある神社。叡山電鉄鞍馬線の市原駅の北東、府道40号線を進む。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 愛宕郡「須波神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によれば、第13代成務天皇12年の創建だという。御祭神は伊弉諾尊瓊瓊杵尊の2柱で、そのため、二宮社・二ノ宮とも称されたという。

飛鳥時代、第40代天武天皇が逆徒に襲われた際、身も心も静かになったことから、志津原を静原に改称したという。

そして、刀・弓・矛などを奉納したと伝わる。また、江州浅井郡の地330石を寄進。奈良時代初期の和銅4年(711年)に祭祀が開始したとも。

戦国時代の明応年間(1492年-1502年)、当地に静原城を構えた岩倉の山本対馬守が、細川政元と戦った際に当社も兵火にかかり、古記録等を焼失。

さらに江戸時代前期の元禄3年(1690年)にも火災があり、社記・神宝をすべて失ったという。

『雍州府志』に、「静原社 在鞍馬東南、上賀茂之末社也、上賀茂四月初酉日祭所用之葵、自此処採来也」とあり、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の末社だった。

当社の氏子は、静原沙汰人と呼ばれ、葵祭では、当地で葵を採取して献上したという。ただし、一部資料では、賀茂御祖神社(下鴨神社)の末社だったとも。

下鴨神社の場合、天正年間(1573年-1593年)の検地で社領が没収されたが、豊臣秀吉により、下鴨領として、30石の寄進があり、それが続いたという。

静原沙汰人として、下鴨社の、御蔭神社で行われる御蔭祭に奉仕する例が現在も続いているという。どちらにしろ、形の上では昭和になって独立した、とも。

境内社に、本殿右手に天満宮社・比賣宮・豊受神社が、左手に貴船神社・天照大神宮・八幡宮社・惣山神社・香取神社・猿田彦社がある。

例祭は10月23日。御旅所に天皇社山がある。中世の宮座をしのばせる元服式(烏帽着)が伝わっているという。

社前に樹高15メートルを超える大イチョウがある。秋、葉は真っ黄色になり、美しい。あまり知られていないが、紅葉の名所である。

なお、式内社「須波神社」の論社は他に、下鴨神社境内摂社の三井神社の末社である諏訪社、同じく境内摂社の河合神社、上賀茂神社境内摂社の式内同名神社がある。

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静原神社 京都府京都市左京区静市静原町
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