もとは清滝川と西野川の合流点の式内・墮川御上神社、中世に賀茂領
大森賀茂神社 京都府京都市北区大森東町1
[住所]京都府京都市北区大森東町1
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大森賀茂神社(おおもりかもじんじゃ)は、京都府京都市北区大森東町にある神社。地図では大森加茂神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 葛野郡「墮川御上神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。もとは式内社名を称していた。清滝川と西野川の合流点の落合付近、現在の境内の東方、薬師峠の麓付近に祀られていた。今も明神祠があるか。

御祭神は弥都波能売神・瀬織津比咩神。平安時代には賀茂社領になったようで、貞観17年(875年)に賀茂皇大神を合祀、現在地に遷座したという。

この大森の里は清滝川の上流に位置し、平安京遷都に当たっては主要な調木地の一つに選ばれた。

また、当地は第55代文徳天皇(在位:850年-858年)の第一皇子である惟喬親王(844年-897年)の閑居の地である。

現在も、境内社として惟喬神社があり、当社の例祭である10月第2日曜日の秋祭は惟喬神社で斎行される。

ただし、境内社に貴船神社(闇淤加美神)はあるが、惟喬神社らしい別の境内社は確認できない。

ともかく、寛仁2年(1018年)には現社号に改称した。現在の境内には、「元式内社堕川御上神」と書かれた石標がある。

その隣には「遥拝所」ともある。当社そのものが式内社なのか、この祀られているものがそうなのか、あるいはここはあくまでも遥拝所なのか。

『山城名跡巡行志』には、「堕川御上ノ神社、東河内にあり、今は大森大明神と称し、また加茂ノ神社と云う」とある。

さらに、「鳥居は西向き、拝殿は南向き、東河内・西河内・中村三村ともに祭る」とある。

『安楽寺縁起由来記』によれば、神事には東・西・左・右・失慰の五座が供物を供え、神輿の前で童子相撲五番勝負の後、神楽を奉納したという。

明治維新まで、御簾提灯は御所より新調寄進があったと伝えられている。 明治6年(1873年)6月、村社に列した。10月の例祭の他、1月2日には歳旦祭が行われる。

なお、葛野郡の式内社には「堕川神社」もある。社名から考えて、式内社「堕川神社」と「墮川御上神社」は対になっていると考えられる。

しかし「堕川神社」は参考社として、岩戸落葉神社が挙げられるばかりで、他に論社もない。廃絶しているのか、あるいは当社と何らかの関わりがあるのか。

【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、諸願成就
大森賀茂神社 京都府京都市北区大森東町
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