物部系、饒速日命の孫の裔の阿刀氏、平安遷都で河内国から移住
阿刀神社 京都府京都市右京区嵯峨広沢南野町80
[住所]京都府京都市右京区嵯峨広沢南野町80
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阿刀神社(あとじんじゃ)は、京都府京都市右京区嵯峨広沢南野町にある神社。山陰本線の線路の北、太秦駅と嵯峨嵐山駅の間、常盤駅の西。丸太町通り沿い。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 葛野郡「阿刀神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。社名「阿刀」から、当社は古代氏族阿刀氏(あとうじ)の氏神社と考えられている。

『新撰姓氏録』では山城国に「阿刀宿禰」「阿刀連」の記載があり、それぞれ石上朝臣(物部氏)の支族で、饒速日命の孫の味饒田命の後裔だとしている。

阿刀氏のもともとの本拠地は河内国渋川郡跡部、現在の大阪府八尾市の跡部神社周辺であったが、平安京遷都に伴う移住によって、祖神を当地に遷したとされる。

社家は阿刀家だったようで、かつて鎮魂伝を相承していたという。また、阿刀家はここで第52代嵯峨天皇(在位:809年-823年)の御作という天照大神の木神像を奉斎したとも。

阿刀家は弘法大師空海の生母の里方でもあるという。弘法大師は、三教指帰の初稿を当地で書いたと言われている。

阿刀家は弘仁14年(823年)正月、真言宗の執行職として東寺に移ったが、後述のように嵯峨との交渉には変わりはなかったという。

国史では、貞観8年(866年)に阿刀神を指すと見られる「降居神」に従五位下の神階が叙せられている。

『日本後紀』には「大和国の石上神宮の器仗を山城国葛野郡に移す」とあるが、その地は当社北西の嵯峨新宮町に明治まで存在した小祠「新宮の社」だったという。

江戸時代初期、第108代後水尾天皇(在位:1611年-1629年)は、当社東の嵯峨野にあった燈象菴に行幸した際、阿刀栄元に下記の歌のある色紙を下賜したと伝わる。
虫の音も 長き夜飽かぬ 故郷に 楢思ひ添う 松風ぞ吹く
また、江戸初期の豪商である角倉了以(1554年-1614年)、江戸初期の公家で学者の清原国賢(1544年-1615年)も、それぞれ阿刀家と親族だったという。

当社から派生した阿刀家が近世嵯峨野の文化形成に与えた影響は大きい。

『神祇志料』によれば、当社の御祭神は阿刀宿禰祖の昧饒田命(味饒田命)。しかし、現在は天照皇大神を祀るとされている。

社名「アト」の由来を「アツ」すなわち「ヤツ(谷)」からの転訛として、御祭神を水神(=農業神)とする説もある。

いつの頃か、大神宮社と呼ばれるようになったが、明治になり、式内社として改称した。明治10年(1877年)3月、村社に列した。

駐車場にはさまれた狭い砂利敷きの参道を入った先、周りを民家に囲まれた狭い境内に、現在は、素木の鳥居が立ち、簡単な覆屋の中に木造の小祠があるのみ。

【ご利益】
地域安全、一族・子孫繁栄
阿刀神社 京都府京都市右京区嵯峨広沢南野町
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