神功皇后の矢が落ちた地に射楯・兵主の両神を奉斎、一旦は式内比定
行矢射楯兵主神社 兵庫県姫路市辻井648
[住所]兵庫県姫路市辻井4-4-3
[電話]079-239-6921 - 英賀神社

行矢射楯兵主神社(いくやいだてひょうずじんじゃ)は、兵庫県姫路市辻井にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 餝磨郡「射楯兵主神社二座」に比定される式内社(小社)の論社。兵主神社の一つ。現在は英賀神社の英賀神社である。

神功皇后が三韓征伐の際、飾磨郡麻生山より事始めの神矢を射た。その矢の落ちた所に乗船守護の射楯大神と武運必勝の兵主大神を奉祀したのが起源。

その際は、行矢大明神と尊称し、戦勝を祈願したと伝えられる。現在に至るまで、当社にはその神矢が秘宝として奉安されている。

矢が落ちたのは、八丈岩山と秩父山の間、八丈岩山の南麓の矢落村。射楯大神は八丈岩山に祀られた位達神(伊達神)で、兵主大神は秩父山に祀られた大汝命である。

射楯大神はまたの名を五十猛命といい、素戔嗚尊の子で、父とともに新羅国に天降り、多くの樹種をその地に植え、さらに植樹した開発創業の有功の神。

兵主大神はまたの名を大己貴神といい、これは大国主神のことで、国土経営・産業創始・神威無双の神だという。

古来より朝廷の尊崇が極めて篤く、歴代の国司・領主をはじめ、地方の豪族もまた深く、崇信の誠を捧げた、国内屈指の古名社だという。

いずれかの時期に、村民ともども現在地に遷座した。姫路藩より「行矢社以来式内之通射楯兵主神社と相唱可申事」と指令され、式内認定された。

古文書には「辻井の生矢神社」とも残っている。竜野町3丁目の四ツ角に「式内射楯兵主神社在辻井村」と刻んだ石碑を建立したという。

これに対し、時の総社の神官国学者上月為彦は、明治3年(1870年)11月、『射楯兵主神社考』を著して反論。

これにより、総社に射楯兵主神社の名が戻された。以来、土地の字にちなんで行矢神社と称してきたが、町民の熱誠により復称した。

当社の拝殿扁額には、「行矢社 射楯兵主神社」とある。例祭は9月21日で秋祭。7月21日には夏祭がある。なお、式内社「射楯兵主神社二座」の論社は他に、廣峯神社がある。

【ご利益】
産業振興、縁結び、夫婦和合、病気平癒など
行矢射楯兵主神社 兵庫県姫路市辻井
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