開化皇子・皇孫とも、垂仁皇子の和気氏の祖とも、今は木花開耶姫命
[住所]岡山県備前市吉永町神根本1147
[電話]0869-84-3876

神根神社(こうねじんじゃ)は、岡山県備前市吉永町神根本にある神社。山陽本線の吉永駅の北、県道368号線を北上、八塔寺川西岸。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 和気郡「神根神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創建年代は不詳。『日本三代実録』貞観7年(865年)7月26日の項に「備前國正六位上神根神(中略)等並従五位下」とあるのが初見。

『備前国神名帳』諸本及ぴ 『國内神名位階記』山本本には「従二位神根大明神」「正二位神根大明神」とある。

もと現社地の500メートルほど東の、「古美山」に鎮座していたが、鎌倉時代初期の建久年間(1190年-1199年)、現在地に鎮座した。

「神根本」の地名は当然、当社にちなむもので、「こうねほん」と読む。

また、『和気郡誌』には 「天正十八年十一月備前宇喜多中納言秀家卿家臣長船紀伊守検地の節、數度の神位記、神田共悉く取り上ると云傅へ……」とある。

備前国三宮であるともされる。先の天正18年(1590年)で社領は失ったようだが、江戸時代になり、岡山藩から崇敬された。

江戸時代前期の寛文10年(16701年)、岡山藩主池田光政が和気郡奉行渡邊助左衛門に命じて社殿を改築し、社領2石9斗及び神根本村字鯉の河原の新田3反歩を寄進した。

字鯉の河原の新田は享保13年(1728年)9月の洪水により流失し、その後若干衰微、幕末の文久元年(1861年)になって、祠官北川宗国により、再興された。

御祭神は木花開邪姫命。ただしこれは、当社を再興した宗国の説により、今に至るまで定着したもの。

それ以前までは、第9代開化天皇、あるいは第11代垂仁天皇の皇子や皇孫、和気氏とのかかわりを指摘する意見が多かった。

『備陽国誌』では、開化天皇皇子の大根王(不詳)、『吉備温故秘録』では開化天皇孫で、日子坐王の子である神大根王

『吉備温故秘録』では、和気氏の始祖で、垂仁天皇皇子である鐸石別命、『吉備温故秘録』では和気氏本姓磐梨別公の祖で、やはり垂仁皇子の大中津日子命

明治5年(1872年)、郷社に列し、明治40年(1907年)1月27日には神饌幣帛料供進社に指定された。

明治43年(1910年)5月、神根村字板屋の御崎神社、字山津田の今伊勢神社、字門出の八幡神社、字南谷の素盞嗚神社、字和意谷の大山祇神社、字樫村の熊野神社を合祀した。

現在までに、仲哀天皇応神天皇神功皇后天照大神豊受姫命素盞嗚尊伊弉諾尊伊弉冉尊大己貴命・速玉男命・事解男命・大山祇神を配祀する。

例祭は10月第3日曜日とその前日で、秋大祭。江戸時代から続く、神根獅子舞が奉納される。5月15日には春大祭があり、1月14日までの日曜日には厄神祭がある。

境内社に、天神社(菅原道真など)がある。奥の祠の中に、小さな牛の像が沢山奉納されている。また、昭和25年(1950年)から祀られている御霊社がある。

【ご利益】
厄災除け、健康長寿、五穀豊穣、旅行安全など
神根神社 岡山県備前市吉永町神根本
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