八幡宮・神宮寺とも呼ばれた測量の神、神宮寺山古墳に鎮座
[住所]岡山県岡山市北区中井町1-5
[電話]086-222-5018

天計神社(あまはかりじんじゃ)は、岡山県岡山市北区中井町にある神社。旭川西岸、津山線の法界院駅の東すぐ。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 御野郡「天計神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。『備前国総社神名帳』に「天計神社」、山本氏本に従二位下天計明神と記載されている。

『備陽国誌』本郡廃寺の部に、妙法山神宮寺北方村とある。つまり、当社の別当である。その鎮守が当社となった。

その神宮寺に当社の本地仏として、左手に巻物一巻、右手に弓を挾んだ仏像が一躯ある。銘に天計八幡大菩薩、備前国御野郡北方村とある。

右像の弓を持っているのは、当社神が測量神であったため、上代の丈量器を誤って伝えたものとされる。

弓を持つ本地物だったためか、いつの頃か、当社は八幡宮と呼ばれるようになった。また、当社を指して、神宮寺とも。後、当社別当の神宮寺は廃れ、当社だけが残った。

旧地は、現在地の西北、北方地区の幸田畑。安土桃山時代の慶長5年-7年(1600年-1602年)、金吾中納言秀秋(小早川秀秋)が、現在地に遷したという。

現在血は、小学校の東にある丘の上。この丘は、神宮寺山古墳と呼ばれる5世紀頃の前方後円墳で、後円部分の頂上に社殿がある。

神宮寺山古墳は三段築成で、規模は全長150メートル、後円部径約70メートル、高さ約13メートル。被葬者は吉備兄彦とも。国の史跡に指定されている。

竪穴式石室の所在を予測させる天井石が露出している。また、副室の小型竪穴式石室があり、多量の鉄製農具・工具や武器(刀・剣等) などが出土した。

八幡宮などと呼ばれた当社は、それでも式内の由緒を伝えてきたため、明治初年(1868年)、現社号に改称した。

昭和20年(1945年)の空襲で焼失。現社殿はその後の仮殿で、南面しており、本殿は一間社流造・本瓦葺きの、こじんまりしたものである。

御祭神は、手置帆負命と彦狭知命。建築の神だが、天計は「あまはかり」で、天量の意。地元では「はかりの神様」とも呼ばれている。例祭は10月第3土・日曜日。

現在、境内には境内社はなく、社日の石柱が一つあるのみ。昔は、志目社・天神社・荒神社・稲荷社が、本殿の相殿に応神天皇(八幡宮)も祀られていた。

なお、吉備中央町にも当社と同名の神社がある。

【ご利益】
事業成功、産業振興、厄災除け
天計神社 岡山県岡山市北区中井町
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