大日池、朱色に染まった本殿、仁徳朝の創祀、10月に御波解祭
鵜江神社 岡山県小田郡矢掛町西川面1334
[住所]岡山県小田郡矢掛町西川面字宮本1334
[電話]0866-83-1080

鵜江神社(うのえじんじゃ/うごうじんじゃ)は、岡山県小田郡矢掛町西川面にある神社。いわゆる字宮本。井原鉄道井原線の矢掛駅の西、県道408号線を途中でそれる。御朱印の有無は不明。

海洋センターの近く、大日池。そのほとりにある五角形の「地神」は、基礎からすべて五角形になっている。

入口には立派な大鳥居があり、神門をくぐると、拝殿までつづく回廊がある。拝殿には低くて大きな注連縄がかけられ、本殿はすべて朱色に染まっている。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 小田郡「鵜江神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

社伝によれば、第16代仁徳天皇の勅令により、吉備津神社五社の神殿と、72の末社を創建したが、当社はその末社の一社だという。

御祭神は吉備津彦尊。ただし一説に、当地の国津神である樂々森彦命(楽々森彦命。ささもりひこのみこと)とも。伝承が伝わる。

第11代垂仁天皇の御代、吉備津彦命が温羅を退治した時、水際に逃げた温羅を、楽々森彦命が見事に捕らえ、その姿が鵜のようであったため、鵜江神と呼ばれたという。

また別に、吉備津彦命が薨去、御体を中山の南峰に埋葬する時、御棺が鳴動し、1羽の鵜(荒魂)が西方に飛び出た。

その止まった当地を鵜の里と称し、吉備津彦命の荒魂を鎮め、奉斎して建立されたとも伝わる。

式内社「鵜江神社」は、従五位下に叙されている。他の論社に、東川面の大元鵜江神社があり、小林の当社および式内同名神社が参考社とされる。関連して、宇内に鵜成神社がある。

往古は神領も多かったが、中世になって、近辺の武士に神領を掠め取られて衰退。また、渡辺河内守が祭祀を行い、社殿を修造していたが、渡辺家断絶後、やはり衰微した。

現在の本殿は、永禄7年(1564年)、西川面城山城主渡邊河内守藤原資家により再建されたもので、棟札が現存する。以来、11度にわたって屋根葺き替えが行われた。

近世になって小田郡川面村など7ヶ村の産土とされ、崇敬された。往時の本地は薬師仏。卯之宮大明神・宇野宮大明神などと称された。

明治になり、現社号に復し、明治5年(1872年)には郷社に列し、明治40年(1907年)1月に神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は10月第1日曜日の前々日から4日間開催され、秋季大祭。

初日は御波解祭(おはげまつり)があり、大当番屋宅の庭に棟より高く竹組みを立て降神の目印として神迎えの神事を行う。

最終日に昇神の神事の後、この竹を氏子の当番組が倒して持ち帰る。この竹を農耕に使用すれば、五穀豊作となると伝えられている。

古くは流鏑馬の神事があり、名残りとして、鎌倉時代とされる弓矢などが奉納されている。

また、昭和初期までは、秋の大祭に笠岡、井原、金光、鴨方、美星、真備など近隣の大人が集って、大相撲の奉納があったという。

他に、4月10日前後の日曜日が春季大祭で郷社祭。6月30日前後の日曜日が夏季大祭で大祓祭。

境内には、厳島神社、黒丸神社、暁神社、若宮神社、里吉神社、大社神社、伊勢宮神社、天神社、星王神社、朔明神社など小祠が点在し、石も祀られている。

【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、病気平癒、学業成就
鵜江神社 岡山県小田郡矢掛町西川面
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