三輪山明神、もとは宮山古墳のある高梁川東岸の三輪の地
神神社 岡山県総社市八代918
[住所]岡山県総社市八代918
[電話]0866-93-6075

神神社(みわじんじゃ)は、岡山県総社市八代にある神社。高梁川西岸、県道80号線で、神在小学校から小道を進む。八代大池の近く。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 下道郡「神神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。通称は三輪山明神。主祭神は大物主命であり、おそらくは奈良大神神社と関係する社だと考えられる。

平安時代、文徳天皇の御代、嘉祥4年(851年)正月に正六位上。清和天皇の御代、貞観元年(859年)正月に従五位下に叙せられた。

『備中誌』によると、古代、高梁川の東岸である三輪の地に鎮座していたが、後、西岸の現在地に遷座したという。

現在、その三輪の地には、やはり式内社である百射山神社が鎮座している。江戸時代前期に遷座したもの。

百射山神社は、宮山とも呼ばれた三輪山にあったと考えられる三輪神社を合祀している。

とすれば、その三輪神社も式内社「神神社」の論社になりそうだが、あまり有力な説にはなっていないようだ。

また、なぜか総社市真壁の嚴島神社が参考社になっている。もっとも、式内社「神神社」は当社でほぼ確定していると考えられる。

旧地の三輪には、三輪山の古墳群や、宮山型特殊器台と飛禽鏡(ひきん)が出土した宮山古墳が知られる。当社草創と関わりがあるか。

さらに、これらの祭器の同型が、大和でも検出されており、当地から大和に移入されたともされる。そうなると、当社こそが大神神社の本宮、との可能性も出てくる。

境内の背後には、標高201メートルの木村山がある。資料によれば、この木村山に磐座があるという。当地は遷座後で、この磐座と当社との直接の関係は不明。

明治になり、村社に列し、明治43年(1910年)7月15日、村社八幡神社、摂社八代神社、摂社伊與部神社を合祀した。

御祭神は大物主命の他、天照大神素盞嗚尊大山咋命応神天皇仲哀天皇神功皇后を祀る。

合祀神として、武甕槌命経津主命天児屋根命・比賣神の春日四神と、市杵嶋姫命湍津姫命多岐理姫命宗像三女神を祀る。

当社の本殿は一間社流れ造り・銅板葺き。もとは桧皮葺きだった。拝殿に江戸時代後期の天保13年(1842年)とある棟札があり、現社殿の建立時期とされている。

境内社に、荒神社(火之迦具土神)、若宮神社(大田田根子命)、八王寺宮(五男三女命)、きらく天王(不詳)、牛頭天王(須佐之男命)などがある。

【ご利益】
家内安全、地域安全、産業振興、事業成功
神神社 岡山県総社市八代
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