「みさきのとのみや」、八剣大明神・つるき宮とも、藩主崇敬17社
弥佐支刀神社 長崎県壱岐市郷ノ浦町大原触99
[住所]長崎県壱岐市郷ノ浦町大原触99
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弥佐支刀神社(みさきとじんじゃ)は、長崎県壱岐市郷ノ浦町大原触にある神社。国道382号線を志原簡易郵便局の辺りで北に折れすぐ、志原小学校の隣。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 壱岐国 石田郡「彌佐支刀神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社記によれば、嵯峨天皇の御代、平安時代前期の弘仁2年(811年)10月の創立。もとは神度丘と八剣山との間、170間ほど後に鎮座した。

式内社「彌佐支刀神社」は、仁寿元年(851年)正六位上に叙し、元慶元年(877年)には中臣・己部の両氏を参向させて幣を奉った。延喜5年(905年)まで12回、神階を進めた。

なお、他の論社に、芦辺町深江鶴亀触の比売神社がある。当社は八剣大明神と称され、御祭神は日本武尊

江戸時代前期の寛文12年9月(1672年)、社殿が造営され、元禄13年(1700年)には現在地に遷座した。

当社は平戸藩主が一貫して崇敬した神社で、大祭に際しては神幸式、流鏑馬の神事が馬廻りの武士の代参のもと執行された、壱岐の神社十七社の一つ。

壱岐の中心部に東西に走る低地は、昔は沼地であったと考えられ、当社は南岸の岸に当る。その沼を渡る場所として祀られた神が渡宮「トノ宮」。

いわゆる「とのみや」。対岸の深江にも「鶴木」という地名があり、当地もツルキという地名であったと考えられる。

当社の場合も、ツルキという地名が、剣となり、八剣となって、日本武尊につながったという説がある。つるき宮とも。

また、当社は「みさき・とのみや」であって、山方の「とのみや」である式内社「與神社」、現在の深江神社と対の関係になっているという。

明治9年(1876年)12月4日、村社に列し、明治18年(1885年)4月25日には正殿を改築。明治29年(1896年)9月、神輿を購入し、現社殿は大正3年春の新築。

例祭は10月21日で、神幸式・神楽奉奏。11月29日が神迎祭で大神楽。拝殿の横額「忠孝」の二字は、享保7年(1722年)5月のもの。

境内隅には湧水がありり、狛犬は名工山内利兵衛の作。

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弥佐支刀神社 長崎県壱岐市郷ノ浦町大原触
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