素盞嗚尊が帰朝で宮殿を建てた地、もと妙見宮、山内利兵衛傑作の狛犬
国津意加美神社 長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触133
[住所]長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触133
[電話]0920-47-0675

国津意加美神社(くにつおかみじんじゃ)は、長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触にある神社。県道25号線が県道175号線に分かれるところで、175号線を直進。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 壱岐国 石田郡「國津意加美神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

最近は、「くについかみじんじゃ」とも読まれるというが、意加美神社は全国各地にある雨雪を司る神であり、「おかみじんじゃ/おがみじんじゃ」と読む。

創祀年代は不詳。『社記』によれば、神代に素盞嗚尊が朝鮮半島を巡り、帰国の際、当地に到着して宮殿を建てたという。

そこで後に素盞嗚尊が奉斎され、旧武生水郷、現在の郷ノ浦町の惣廟として崇敬された。往時は妙見宮と呼ばれた。

ただ、社名から考えると、水神の社。もともと水神が奉斎されていたか、後に水神が奉斎されるようになったかは不明。現在は水神である闇袁加美神も祀られている。

また、古来御願元と称し、近世には藩主格別の崇敬社として、国中諸社の首班に置かれ、定祭には幣使、式日には代拝として、亀丘城の城代が参向した。

江戸時代前期の延宝4年(1676年)6月、式社改めにより式内社に査定され、藩主松浦鎮信から木鏡御正体と石領が献納された。

松浦藩主が壱岐を巡見する際、当社に親しく参向し、恭しく礼幣を奉奠されたため、直参の社とも呼ばれた。

往時は、神田や神領などを有し、社殿の造営は概ね国守の直営によった。奉仕の祠官には特殊の格式と職権が与えられたという。

当社は「壱岐の犬狩り騒動」と呼ばれる、明治政府の地租改正に端を発した農民一揆の舞台にもなっている。

明治6年(1873年)3月18日早朝、当社に壱岐の村々から2000人が集結。酒屋を襲い、建物を壊して中に入り、酒を飲み、品物を手当たり次第に盗んだ。

郷ノ浦を襲った翌日、暴徒化した群衆は、今度は、湯ノ本浦の酒屋を襲った。その翌日には印通寺浦が襲われた。

印通寺浦を襲った後、暴徒は国分天満宮の馬場に集まり、次の日には、芦辺浦か勝本浦のどちらを襲うかを相談。しかし、一揆の意気込みも次第に衰え、中止となった。

明治9年(1876年)12月4日、村社に列し 大正14年(1925年)3月10日、神饌幣帛料供進社に指定された。

現在までに、素盞嗚尊・闇袁加美神の他、大己貴命稲田姫命を合わせて祀る。例祭は4月15日と10月15日。12月15日が神迎祭で大神楽。

昔、9月15日の祭りの時には、佐賀県呼子鎌田から魚が献魚され、神前に供え、祠官以下で頂戴した。

その最中は、拝殿入口に呼子鎌田の漁夫が棒を持って警護し、参詣人が入って来るのを阻止していたという。

後に、呼子鎌田の人と渡良浦小崎の漁夫の縁組があり、献魚は小崎から行われるようになったという。

境内の狛犬は玉含獅子、子抱獅子の一対で、壱岐の名工と呼ばれた山内利兵衛63歳の時の傑作とされ、幕末の文久2年(1862年)に献納されたもの。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、身体壮健、夫婦和合
国津意加美神社 長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触
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