八幡・八坂の牛ノ宮とも呼ばれた古社、県内最古の神社建築が重文
[住所]徳島県鳴門市大麻町大谷山田66
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宇志比古神社(うしひこじんじゃ)は、徳島県鳴門市大麻町大谷山田にある神社。JR阿波大谷駅の北、県道12号線の撫養街道を越えて進む。高松自動車道の南。書置きの御朱印があるという。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 板野郡「宇志比古神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創建年代は不詳。一帯の堀江庄は石清水八幡宮の荘園だったため、荘園の中心地である現社地に、別宮として八幡宮が勧請された、とも考えられている。

天正年間(1573年-1593年)、長宗我部元親の乱入により社殿、古記録、社宝を焼失したが、後に再興された。

本殿はこの時の再興のものが現存しているとされる。棟札には慶長4年(1599年)とある。現存する県内の神社本殿としては最古。

国の重要文化財に指定されているこの本殿は、高さ約10メートル、幅7.5メートル、奥行き5.4メートル。

様式は大麻比古神社と同じ三間社流造。正面が柱で三つに区切られた三間社で、切り妻屋根の前面に、長くひさしが伸びる流造の特徴を合わせ持つ。

ひさしの下の柱を飾る木鼻に唐草模様の彫刻がある。浅く細い線で文様を描く中世の手法を用いている。本殿内部はカキ殻を粉末にした胡粉で白く塗られていたようだ。

明治3年(1870年)、それまで八幡神社と称していたが、民政局より「大谷八幡神社は向後宇志比古神社として奉祀候事」とあり、現社名に改称した。

『明治神社誌料』によれば、「当社もと惣ヵ淵と字する所に在りて、八坂神社と称せり。其地は凹地なるを以って明治十年十二月現地に遷し祀るといへり」とある。

「牛ノ宮」と呼ばれた祠ではないかとされる。これがあったから式内比定されたものか。ただし、他の論社の宇志比古・宇志比売神社の鎮座地名も牛ノ宮。

どちらにしろ、現在も氏子の半数以上が「八幡様」と呼び、崇敬している。御祭神は、宇志比古尊と八幡神(応神天皇仁徳天皇神功皇后)。

宇志比古尊は不詳だが、丹波比古多多須美知能宇斯王(たんばひこたたすみちのうしのきみ)、またの名を丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)とする説がある。

この場合、「うし」は「大人」のことで、丹波を中心に、阿波を拠点とした皇族、あるいは大豪族を指すと考えられている。

阿波神社の東側に北に延びる参道がある。当地は大谷焼の里。周辺には大谷焼の窯元が点在している。

一の鳥居から三百数十メートル北に随神門がある。その近くには東林院があり、毎年11月第2土・日曜日に窯元合同の陶器市画が境内で開催される。

当社参道階段の灯籠にも大谷焼のものがある。一の鳥居と門前に、ユニークな表情をした狛犬がそれぞれ一対安置されている。

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宇志比古神社 徳島県鳴門市大麻町大谷
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